2020年03月25日

伝統の基準を議論することが不毛?

前のエントリの続き。

「伝統かどうかの判断」は不毛ではない、
「何年続いたら伝統」のように
「伝統の基準」を議論することが不毛だと
「うなぎ」氏は言いたいのかもしれないです。

 


「伝統かどうかの判断」の議論を
ある程度以上深まってくると、
「なにをもって伝統とするか」の
基準をはっきりさせる必要が
出てくることもあります。

それを「不毛か?」と言われると、
わたしに言わせれば微妙です。
議論で明確な結論を出すために基準を
はっきりさせる必要があるとも言えるし、
基準の議論の深みにはまりすぎると、
建設的でなくなるとも思うからです。


実際の議論では「伝統かどうか」の基準は、
コンセンサスが取れていると思います。
明治維新よりあとであれば、
「日本の伝統」とは考えないことが多いです。

明治維新は日本の歴史の大きな
分水領であり、また明治以降は
欧米諸国の影響を強く受けるので、
「日本古来もの」とは異質であると
考えられるものが多いからです。

明治以降にあらわれたものでも、
すでに100年以上続いているから伝統だと
言う人も、選択的夫婦別姓の
反対派の中にはときどきいますが。

「夫婦同姓は民俗学でいう慣習?」



実際の議論についてもっと言えば、
選択的夫婦別姓の反対派が「伝統の基準」を
問題にすることはめったにないです。
なぜ問題にしないのかはわからないです。

選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
「自分が伝統と思ったものは伝統」と
先験的に決まっていると思うのでしょうか?
それとも「伝統の基準」を明確にすると、
根拠を示すことで伝統でないことの
反証がしやすくなるからでしょうか?


posted by たんぽぽ at 22:24| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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