2019年11月04日

国民的議論が必要論・反証不可能性

メインブログの11月4日エントリで、
「選択的夫婦別姓の実現には
国民的議論が必要だ」としきりに主張する
「四条烏丸」を見てきました。

「選択的夫婦別姓・国民的議論が必要?(2)」
「選択的夫婦別姓の実現には国民的議論が必要だと主張する反対派(非共存派)」

ここで「四条烏丸」は「どのような議論が
あれば国民的議論があったとするのか?」と、
対論者からお尋ねされています。

 


わたしもこのお尋ねに対するお答えを
「四条烏丸」から聞きたいです。
メインブログでわたしが示した論点d.です。

a. 本当に「国民的議論」が必要か?
b. 「国民的議論」の「国民」は具体的にだれか?
c. 「国民的議論」をする論点はなにか?
d. どのような議論があれば
 「国民的議論」があったとするか?


選択的夫婦別姓に関して
こんな議論があった、あんな議論があったと、
対論者が具体例を挙げるあいだは、
「四条烏丸」は「それは国民的議論と言えない」
「それもたいしたことない」と冷笑を続けます。


ところが対論者から「国民的議論の基準」を
お尋ねされると、「四条烏丸」はだまりこみます。
最初に示した対論者のツイートに、
「四条烏丸」のリプライはついていないです。

対論者のほかのツイートには、
「四条烏丸」はほかのリプライを続けます。
ここでも「それは国民的議論と言えない」と
「四条烏丸」は言うだけで、「国民的議論の基準」の
お尋ねに対するお答えはないです。


「四条烏丸」は「国民的議論が必要」論を
これ以上主張するなら、どんな議論があれば
国民的議論があるとみなすのか、
その基準をはっきりさせる必要があるでしょう。

このままではどんな議論があったという事例を
しめしても「それでは国民的議論とは言えない」と
言い返せて「反証不可能」になります。

「カール・ポパー、反証主義とは」
「反証可能性」
「科学の条件とは(4)反証可能性ってなに?」

おおよそ実証的な議論における命題は、
すべて「反証可能」である必要があります。
そうでなければその命題が正しいか誤っているかを、
検証できないことになるからです。

それゆえ「とんでも」な主張をする人は、
往々にして「反証不可能」な
命題にしがみつくことになります。
間違いを示すことが論理的に不可能になるので、
自説を反論されたくない根拠薄弱な
主張をする人には、都合がいいからです。


この「国民的議論が必要論」に関しては、
「国民的議論があった」とする
具体的で客観的な基準を示すことで、
議論を「反証可能」にすることができます。

その基準を満たす議論が存在することを示せば、
「国民的議論があったとは言えない」に、
反証することができるからです。

その上で、いつまでも基準を満たす
議論の存在が示されないようなら
「国民的議論があったと言えない」と
考えてよいことになります。



付記:

「反証可能性」とか「反証不可能性」なんて
「四条烏丸」に理解できるかどうかわからないです。
それでもこれをご覧になっている
ほかのかたたちがいらっしゃるので、
「反証可能性」について言及しておきます。




posted by たんぽぽ at 23:53| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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