「結婚相手の女性に改姓させて
自分の苗字を名乗らせたい」というのが、
選択的夫婦別姓の反対派(男性)の本性だと思います。
はっきりこれを言う反対派(非共存派)は、
これまでを見てもほとんどないです。
自己中心的で差別的だとわかるからだと思います。
そんな中にあって、それをはっきり言う
小説家希望の反対派は、特異的だと思います。
では、相手に、自分の姓を名乗らせたい方は、どうしたら良いのでしょうね。
— 袋小路 めいろ (@fukurokouzi_m) 2019年10月14日
トラブルになりますよね。
このようなほかの多くの人は、
公言がはばかられるので言わないことを
臆面もなく言えるメンタリティを
どう考えたらよいかと思うところです。
これには大きくふたつのパターンがあると思います。
ひとつは本気で問題だと思っていない場合です。
問題の小説家希望の反対派(非共存派)は、
こちらに該当、というのがわたしの印象です。
その自己中心性や差別性がわからない、
そのナイーブさが問題になるでしょう。
もうひとつは問題だと思っているけれど
それでも言う、という開き直りです。
自己中心性や差別性をわかっていて
それを主張する人間性が問題になるでしょう。
どちらのパターンであるにしても、
「そんな自己中心的で差別的なことを
主張してはばからない人間にはならない」という
反面教師にするのが、自分への教訓になるでしょう。
いまなら黙っていたら改姓強要できるのに!
— かえらさん (@cayla_non) 2019年10月15日
って言って恥も感じない人間にはなりたくないものだ。https://t.co/MXKZAQBu6y
「結婚相手の女性に改姓させたい」と
思っている反対派男性の多くは、
その本性を言わないかわりに、
べつの選択的夫婦別姓に反対する理由を並べます。
本性を隠して、かならずしも本性ではないと
思われる理由を持ち出すのは、
対話している相手にはもちろん、
自分に対しても不正直と言えます。
また自己中心的で差別的とわかっていながら、
それでもなおその考えを捨てる努力をしないで
押し通そうとするのですから、
この意味でも独善的であると言えます。
最初の小説家希望の反対派(非共存派)は、
「本性を隠さない」という観点では正直です。
ある意味、見上げた精神だと思います。
なかなかお目にかかれない
選択的夫婦別姓の反対派の本性ですから、
あとで議論や研究をするときの
貴重な資料にもなりえます。
この意味でなら「貢献」しているとも言えそうです。