2019年11月03日

夫婦別姓反対派・本性を現す精神構造

10月28日エントリでお話しましたが、
「結婚相手の女性に改姓させて
自分の苗字を名乗らせたい」というのが、
選択的夫婦別姓の反対派(男性)の本性だと思います。

はっきりこれを言う反対派(非共存派)は、
これまでを見てもほとんどないです。
自己中心的で差別的だとわかるからだと思います。
そんな中にあって、それをはっきり言う
小説家希望の反対派は、特異的だと思います。

  


このようなほかの多くの人は、
公言がはばかられるので言わないことを
臆面もなく言えるメンタリティを
どう考えたらよいかと思うところです。
これには大きくふたつのパターンがあると思います。

ひとつは本気で問題だと思っていない場合です。
問題の小説家希望の反対派(非共存派)は、
こちらに該当、というのがわたしの印象です。
その自己中心性や差別性がわからない、
そのナイーブさが問題になるでしょう。

もうひとつは問題だと思っているけれど
それでも言う、という開き直りです。
自己中心性や差別性をわかっていて
それを主張する人間性が問題になるでしょう。

どちらのパターンであるにしても、
「そんな自己中心的で差別的なことを
主張してはばからない人間にはならない」という
反面教師にするのが、自分への教訓になるでしょう。



「結婚相手の女性に改姓させたい」と
思っている反対派男性の多くは、
その本性を言わないかわりに、
べつの選択的夫婦別姓に反対する理由を並べます。

本性を隠して、かならずしも本性ではないと
思われる理由を持ち出すのは、
対話している相手にはもちろん、
自分に対しても不正直と言えます。

また自己中心的で差別的とわかっていながら、
それでもなおその考えを捨てる努力をしないで
押し通そうとするのですから、
この意味でも独善的であると言えます。


最初の小説家希望の反対派(非共存派)は、
「本性を隠さない」という観点では正直です。
ある意味、見上げた精神だと思います。

なかなかお目にかかれない
選択的夫婦別姓の反対派の本性ですから、
あとで議論や研究をするときの
貴重な資料にもなりえます。
この意味でなら「貢献」しているとも言えそうです。


posted by たんぽぽ at 10:55| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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