「相手の女性に改姓させたい」という
権利侵害を主張する選択的夫婦別姓の反対派を、
やんわりと批判しているツイートの続き。
ツイートの最後でそのような権利侵害は
「独善」であり、他人が夫婦別姓を選択する権利を
蹂躙する正当性はないと言っています。
では、相手に、自分の姓を名乗らせたい方は、どうしたら良いのでしょうね。
— 袋小路 めいろ (@fukurokouzi_m) 2019年10月14日
トラブルになりますよね。
お相手と相談して決めて下さい。今と同じですよ。
— 猫さん。んにゃ! (@nekoacademy0) 2019年10月14日
「 #選択的夫婦別姓 が導入されると相談する必要が生じるのがイヤだ」とお考えでしたら、そう思ってしまうあなたの内面に真摯に向き合って下さい。
あなたの独善は、法改正を望む人々の願いを蹂躙する正当性を持ちません。#ぶっこわせ家制度 https://t.co/dBbp4tceUr
結婚相手の女性が改姓を望まないのに、
「改姓させたい」というのは、
それだけで自己中心的な権利侵害です。
そんな権利侵害を維持するために、
他人が夫婦別姓を選択する権利まで
法律で規制しようというのは、
輪にかけて自己中心的な権利侵害です。
よりによって赤の他人の権利侵害を
維持するために、結婚改姓したくない人たち
すべてが巻き添えになって、自分の権利を
制限されるいわれなどないことです。
「相手の女性に改姓させたい」の人は、
それこそ自分のことしか
考えていないというものです。
「世界は自分中心にまわっている」と
思っているのではないか、というレベルです。
選択的夫婦別姓の反対派の中には、
反対派は社会全体の視点で考えているが、
推進派は個人の視点でしか考えていないと言って、
あたかも反対派は推進派より意識が
高いようなことを言う人が結構います。
「社会全体の観点から話すのはだれか?」
「差別を肯定する「社会全体の視点」」
本当に「個人の視点」でしか考えないのは、
自分は結婚相手に改姓させたいから
夫婦別姓の選択をするのはみんな反対などと
主張する、くだんの反対派のことでしょう。
単に「個人の視点」で考える、
というだけならべつだん問題ないです。
くだんの反対派の場合、その「個人の視点」が
権利侵害をともない、自己中心的で
独善的だから深刻に問題になります。
コメントありがとうございます。
ご指摘のことは、選択的夫婦別姓の反対派
(非共存派)の男性の、おおいなる謎ですね。
自分は男だから、結婚相手の女に
改姓を押し付ける「権利」があると、
信じて疑わないのでしょう。