「踏み絵」発言の「ドライバーとーちゃん」は、
自分が結婚した1989年(平成元年)は、
夫婦別姓なんて言われていなかった、
そのことばさえなかった、などと言っています。
あは😁結婚したの平成元年ですから、その頃は『夫婦別姓』なんてまだいってなかったですから…話題にも登りませんよ⤵️その言葉すらあったかなぁ…❓逆に今は婚前契約みたいに、必ずそこは話し合いするんですか❓
— ドライバーとーちゃん (@tochan541) 2019年8月2日
現在行なわれている議論や運動と
連続性のある選択的夫婦別姓の議論は、
1976年に認められた婚氏続称に
始まると考えてよいでしょう。
離婚改姓の不利益を避ける婚氏続称が
認められるなら、結婚改姓の不利益を
避ける夫婦別姓という選択肢も
認められてよいと、考えられるようになります。
1980年代には選択的夫婦別姓に対する
関心も高まってきました。
「結婚改姓の強制・差別をなくす運動」
「「社会と女性と法律と」その12
【1976年(昭和51年)民法改正・婚氏続称が可能となる】 」
離婚して姓が突然変わることが不都合だと
認められるならば、結婚によってもともとの姓を
変えなければならないのも不都合だとなります。
そう考えれば、夫婦別姓問題も
取り上げられてもおかしくないわけですが、
その頃はまださほど問題にはなっていませんでした。
その後女性の社会進出はますます進み、
キャリアを重ねる女性が増えたことに加えて、
晩婚化という背景もあり、1980年代に入ってからは、
夫婦別姓についても関心が高まるようになります。
『結婚と家族』の155ページには、
1988年2月の赤松良子氏によるスピーチで、
選択的夫婦別姓の導入に言及しています。
「選択的夫婦別姓反対は人権侵害(7)」
1988年2月、ニューヨーク国連本部で行われた
女子差別撤廃委員会で、委員の赤松良子さんは、
日本の民放の規定は、一見中立的だけれども、
約98%の女性が改姓をしている実態は、もはや平等とは言えず、
夫婦の同一の権利として、姓に関する権利をあげている
「女子差別撤廃条約」に反するので、日本も法改正する時期に
きているのではないかと、スピーチをしている。(155ページ)
1988年は、旧姓の通称使用ができることを求める
「関口裁判」が始まった年でもあります。
「関口裁判(職場での通称使用を求める裁判)」
いわゆる「関口裁判」と呼ばれるものは、
1988年(昭和63年)に関口礼子さんが
図書館情報大学を相手に
通称使用ができるようにと提訴したものです。
最終的には和解となりました。
ちなみに平成元年は1989年、別姓という言葉も運動ももうありました。雇用機会均等法施行4年目、女性総合職も多くなり、前年88年には国立大学教授が旧姓使用する権利を求めて訴訟を起こしたことはわりと大きく報道でも扱われましたね。
— usssy (@kenken500p) 2019年8月2日
「ドライバーとーちゃん」が結婚した
1989年は、すでに「夫婦別姓」という
ことばはあったし、何度も議論になって
注目されたこともあったことになります。
「夫婦別姓なんてことばさえ
あったかわからない」などと言っている
「ドライバーとーちゃん」に、
見識がなかったということです。
「関口裁判」は自分が結婚する前の年です。
「ドライバーとーちゃん」はいったいなにを
見ていたのか、ちゃんとニュースに
眼を通していたのかと思うところです。
約98%の女性が改姓をしている実態は
30数年経ったのに3%しか増えてないのか…
情報はあったけれど、興味がないので
気がつかなくて知らなかった、
あたりのことだろうと、わたしも思います。
くだんの反対派(非共存派)は、
結婚相手の女性も改姓したくない可能性など、
つゆほどにも思わなかったのでしょう。
だから関心がなかったものと思います。
それとくだんの反対派(非共存派)は、
「自分が知らない=存在しない」では
ないことを、理解されたいところです。
それだけ女性が改姓することが
当然とされていて、ジェンダー不平等である、
ということにほかならないです。
反対派(非共存派)は「現行民法は
男女どちらの苗字でも選べるから平等だ」
と言いつのりますが。
彼ら反対派(非共存派)はかかる現状を
知らないのか、知っていても無視するのか、
自由意志の結果だと本気で思っているのか、
あるいはわかっていてわざと言っているのか、
いずれもありえると思いますが。