「女大学の道徳は夫婦同姓を象徴としたか?」
「江戸時代は「選択的夫婦苗字」制」
「女大学」の因習的なジェンダー観を
持ち出した「ボクの神聖なID」のかたは、
「夫婦同姓は女大学の家族に関する
道徳の象徴だ」などと主張していました。
ここで江戸時代は本当に夫婦同姓だったのか、
という疑問が出てきたのでした。
これについてあらためて整理してお話します。
江戸時代から明治初期にかけて、女大学という女子向け教育本がベストセラーになりましたが、その内容は「妻は夫の家に入り、夫に尽くす事」というような内容が道徳規範として挙げられています。
— 無式MT (@MxxTxxxx) 2019年5月16日
そういった美徳の象徴の夫婦同姓を壊すことは、結婚の意義自体を破壊する事と同じです
江戸時代は「苗字」と「氏(うじ)」
「姓(かばね)」が別概念として区別されていて、
用いるシチュエーションも違っていました。
最初の反対派のツイートで述べている
「夫婦同姓」の「姓」はなにを指すのかを、
はっきりさせる必要があります。
「夫婦別姓4部作」
「名字の歴史と夫婦別姓」
「氏姓」は大和朝廷時代にはじまる、
天皇からさずかる名前で、「氏(うじ)」が一族の名前、
「姓(かばね)」が役職を表わしました。
「名字」は、平安後期に興ったサムライたちが、
自分たちの一族の名前として、自称しました。
江戸時代のサムライたちは、ふだんは公的にも
私的にも苗字を名乗っていました。
朝廷との関係性を示すときは、
氏(うじ)や姓(かばね)を名乗っていました。
「姓(かばね)」は役職を表すので、
結婚にともなって変わるものではないでしょう。
異姓どうしの結婚では「夫婦別姓」となります。
たまたま同姓どうしで結婚しないかぎり、
「夫婦同姓(かばね)」ではないです。
少し調べると「氏(うじ)」のことを
「姓(せい)」と言うこともあることがわかります。
「かばね」と紛らわしいときは、
「本姓(ほんせい)」と言うこともあります。
氏(うじ)は父系血統を表すものであり、
父親の氏(うじ)が子に引き継がれました。
氏(うじ)は出自を表していて、
江戸時代の女性は結婚しても、
生来の氏(うじ)を名乗りました。
よって「夫婦同氏(うじ)」でもないです。
戦国時代や江戸時代は、女性の結婚後の苗字に
関する史料が少ないので、断定的なことは
あまり言えなくなっています。
ごく限られた史料から判断することになります。
前述のように、苗字はもともと
サムライたちが一族の名前として
称したもので、「家の名前」でした。
戦国時代まではそうだったようで、
結婚後の女性は婚家の苗字を名乗って
「夫婦同苗字」だったようです。
江戸時代になると、苗字は「氏(うじ)」と
同じように「出自」を表わすものと、
意識することが多くなります。
かくして結婚後の女性は生家の苗字を
名乗るようになり、「夫婦別苗字」が
定着していくことになります。
江戸時代にも婚家に帰属意識を持って、
婚家の苗字を名乗る女性もいました。
生家と婚家のどちらの苗字を名乗るかは
慣習や本人の帰属意識によります。
「夫婦同苗字」と「夫婦別苗字」の
どちらのでも選べたことになります。
江戸時代は「選択的夫婦苗字」制度であったと、
言うことができそうです。
これらより最初の反対派が言っている
「夫婦同姓」は、「夫婦同姓(かばね)」
「夫婦同氏(うじ)」「夫婦同苗字」の
いずれの場合であると考えても、
根拠がないことになります。
このエントリの参考文献は、
『夫婦別姓への招待』(有斐閣選書)136-174ページ
『日本人の姓・苗字・名前』大藤修著、
歴史文化ライブラリー)の56-59ページ
です
『日本人の姓・苗字・名前』の56-59ページは
こちらでもご覧になれます。
http://lacrima09.web.fc2.com/figs2/japanese_surename56-59.html