「妻は夫の家に入り、夫に尽くす」という
「女大学」が教える家族・ジェンダー観の象徴が
夫婦同姓であり結婚の意義だ、と言っています。
「「女大学」の道徳規範が結婚の意義?」
「女大学の道徳は夫婦同姓を象徴としたか?」
江戸時代から明治初期にかけて、女大学という女子向け教育本がベストセラーになりましたが、その内容は「妻は夫の家に入り、夫に尽くす事」というような内容が道徳規範として挙げられています。
— 無式MT (@MxxTxxxx) 2019年5月16日
そういった美徳の象徴の夫婦同姓を壊すことは、結婚の意義自体を破壊する事と同じです
姓が「夫の家に入る」ことの象徴だと
言うのですから、この「家」は男性中心であり、
妻が夫の姓(夫の家の姓)に改姓して
夫婦同姓ということだと思います。
「ボクの神聖なID」のかたは、べつのツイートで、
妻が生来の姓(ツイートでは「氏」と表記)を
名乗った例はわずかだと言っています。
(ツイートの内容の妥当性は、いまは置いておきます。)
結婚の氏姓に関する法律がある今の時代の君と、ない明治以前を比較しても意味がありません
— 無式MT (@MxxTxxxx) 2019年5月17日
江戸時代は夫婦連名で署名するとき、妻が生家氏を名乗った例はわずか。一般観念としては同氏です
妻は夫の姓を名乗ったケースがほとんどだと
考えているということだと思います。
「現在の日本の民法は、夫婦同姓だけど
夫婦どちらの苗字でも選べるから
ジェンダー差別ではない」という主張を展開する
選択的夫婦別姓の反対派は少なくないです。
現在の夫婦同姓がこのようであれば、
妻が夫の苗字に改姓すると決まらないです。
ジェンダー平等ですから、「家」という男性中心の
概念もないことになります。
これは「妻は夫の家に入り、夫に尽くす」という
「ボクの神聖なID」のかたが主張する、
夫婦同姓が象徴しているという「道徳規範」や
「結婚の意義」に、反することになります。
「ボクの神聖なID」のかたは、
「現行の夫婦同姓は夫婦どちらの苗字でも
選べてジェンダー平等」となどと
言っている反対派(非共存派)に対して、
「夫婦同姓が象徴する結婚の意義の破壊だ」と
批判しなくてよいのかと思います。
選択的夫婦別姓の推進派を攻撃するより、
このような反対派(非共存派)に対して、
「きみたちの夫婦同姓の解釈は間違っている」と言って、
「結婚の意義の破壊」をさせないようにする
必要があるのではないかと思います。
https://t.co/Yy4ezBFTBz 「現行の夫婦同姓は男女どちらの苗字でも選べるから、男女平等だ」という意見を見かけます。あなたはこれを間違っていると考えるでしょうか? 夫婦同姓が象徴する「美徳」に反しているし、あなたにとっては結婚の意義の破壊でしょうし
— たんぽぽ (@pissenlit_10) 2019年5月28日