「なぜいま選択的夫婦別姓の議論をするのか?」と
「邪推」のかたが訊いてくるので、
「選択的夫婦別姓の導入はいますぐでも
遅すぎる」と、わたしは反論したのでした。
そこで「法制審議会の答申書から23年」に
わたしが触れたからですが、「邪推」のかたは
「23年前には自分の会社では旧姓使用が
自由にできて問題なかった」と言ってきました。
23年前というと1996年ですか。その頃私は通り名で通せる会社に勤務していましたので、皆自由に使い分けていました。歌手でも竹内まりやさんのような例もありますし松任谷由実さんのような例もあります。青筋立てて問題にするほどの物とは考えてもいませんでした。
— シルバー仮面は迅キョウスくん目指して修行中 (@NakanoYutaka) 2019年5月22日
私のいた会社は1991年の時点で旧姓使用が認められていました。それ以前は知りません。あなたの話を聞いているうちに選択的夫婦別姓については反対意見を持つようになってきました。関連法規が多い割にメリットがあまり感じられない。また、選択的と言うのが曲者でこれで余計関連法規が複雑になります。
— シルバー仮面は迅キョウスくん目指して修行中 (@NakanoYutaka) 2019年5月29日
「23年前にすでに旧姓使用が認められて
じゅうぶんだった、だから選択的夫婦別姓の
導入をわざわざ推進する必要はない」が、
「邪推」のかたの主張になるでしょう。
自分の経験プラス憶測程度で、
「旧姓使用でじゅうぶんだ」という
選択的夫婦別姓の反対派にありがちな主張です。
「邪推」のかたもこれを言い出したということです。
「邪推」のかたは、自分の会社で旧姓使用が
できるようになったのは1991年からだと、
やや具体的なことも言っています。
職場での旧姓の使用を求める「関口裁判」が
控訴審で和解になったのは1998年です。
「関口裁判(職場での通称使用を求める裁判)」
関口さんの動き
1982年 図書館情報大学の助教授に就任
1988年 提訴
1993年 東京地裁での判決、控訴
1998年 東京高裁で和解
この裁判によってまがりなりにも、
職場で旧姓を使うことが社会的にも理解され、
これ以降、旧姓使用が認められる職場も
増えていったのだろうと思います。
内閣府・男女共同参画局の「旧姓使用の状況に
関する調査報告書」によると2017年6月の時点で、
旧姓の使用を認めている企業は、全体の49.2%です。
「関口裁判以降、旧姓使用を認める職場が
増えていった」といっても、20年経過して
全体の半分以下ということです。
「旧姓使用の状況に関する調査」
2017年になっても「旧姓使用はどこでも使える」
とはとても言えない状況です。
ましてや「関口裁判」の7年前に、
旧姓使用を認めていた企業や役所が
たくさんあったとは、とても思えないです。
「邪推」のかたのお話が本当だとして、
このかたが勤めていた企業は、
旧姓使用にかなり理解のある
特例的な会社だったものと想像します。
「邪推」のかたは
1. 自分の会社では旧姓使用が認められていた、
2. 社会全体でも旧姓使用が認められているだろう
3. 選択的夫婦別姓の導入は必要ない
というロジックを展開したいと思います。
1.が事実だったとしても、2.が成り立たないです。
「邪推」のかたの会社がまれな特例と考えられ、
社会全体では旧姓使用はじゅうぶん
認められる状況ではないからです。
旧姓使用が認められるといっても、
給与明細は戸籍姓でしか発行しないとか、
銀行口座は旧姓で作れないとか
あちこちに制限があることが多いです。
資格は戸籍姓しか登録できないものが多いです。
それゆえ職場で旧姓使用できても、
資格に記載された名前との整合が取れず、
結局旧姓使用が難しくなることもあります。
「旧姓使用の状況に関する調査(2)」
「通称使用の可能な範囲」
「旧姓の通称使用の状況」
現在の状況では、旧姓使用ができても、
どこかで戸籍姓を使う場面もかならずあります。
両方の名前を使い分ける必要が出てきます。
この使い分けが煩雑だというかたもいます。
最初にお話しましたが「邪推」のかたは、
自分の会社では旧姓使用が自由にできたから
問題はないという主張を展開しています。
本当に「問題はない」かたもいるとは思います。
それでも「問題はない」ように見えるだけで、
旧姓使用が認められる範囲の限界に
不便を感じていた人もいたかもしれないです。
旧姓と戸籍姓の使いわけがうっとうしいと
思っていた人もいたかもしれないです。
それでもしないよりましなので、
旧姓使用しているのかもしれないです。
社会全体では旧姓使用が認められても
「問題はある」というかたは一定数います。
そのようなかたが苗字の問題を
解決するには、選択的夫婦別姓を
導入するよりないことになります。
2.の「社会全体で旧姓使用」が
実現したとしても、3.が成り立たないです。
「邪推」のかたの主張することは、
選択的夫婦別姓の導入をいましなくていいという
理由にはならない、ということです。