2019年06月13日

他者の権利を侵害する「価値」

「選択的夫婦別姓の反対派は、
すべての人が夫婦同姓であることに価値がある。
夫婦別姓が選択できるようになったら
結婚の価値がなくなる」と主張するかたです。

メインブログの5月17日エントリ
ご紹介した、選択的夫婦別姓の
謎かけのツイートについたリプライです。

 
反対派(非共存派)の中には、
このようなことを言う人がときどきいます。


自分以外の他人すべてに、望むと望まないとに
かかわらず、自分と同じことをさせないと
失なわれる「価値」とは、なんなのかと思います。

このような精神構造はどうやって出てくるのか、
これをご覧のかたで察しがつくかたは
いらっしゃるでしょうか?
はっきり言って、わたしには意味不明です。

「たましいのおたけび 均一幻想のなれのはて」


考えられるのは、戦後民法で規定された
「家族のありかた」を金科玉条のように続けることを
「教義」とする「家族思想」です。
日本で家族やジェンダーに因襲な人たちは、
この「家族思想」を「信仰」のようにしています。

「家族思想という信仰」

戦後民法は夫婦同姓だけ認められていて、
夫婦別姓は選択できないです。
それゆえ「家族思想」を「信仰」する人たちは、
夫婦別姓を「教義」に反する
「異教徒」と考えることになります。

さらに「家族思想」の「信仰」のもとでは、
「異教徒」が混在する社会も「教義」に反するので、
「異教徒」を排除するべきと考えます。
それゆえ「家族思想」の「信者」たちは、
選択制でも夫婦別姓を認められないことになります。


最初の「すべての人たちが夫婦同姓と
なることに価値がある」というのは、
すべての人が自分たちの奉じる
「家族思想」の「教義」にもとづくことで、
「信仰」の世界が完成することになって、
はじめて意味があるということだと思います。

「選択制でも夫婦別姓が認められると
結婚の価値が失なわれる」というのは、
「異教徒」の夫婦別姓が混在することで、
彼らの「信仰」の世界が崩れるので
意味がなくなる、ということなのでしょう。


「すべての人が夫婦同姓でないと
結婚の価値が失なわれる」というのは、
夫婦別姓を選択する必要がある人、
結婚改姓をしたくない人の権利を
侵害した上で成り立つことです。

他者の権利を侵害することが前提の「価値」とは、
いったいなんなのかと思います。
そんな「価値」を主張することは
独善的で自己中心的とは思わないのかと思います。
その「価値」によって権利を侵害される人たちのことを、
どう思っているのかと思います。


最初のツイートの人は「夫婦別姓が選択できると
結婚に価値がなくなる」という人の
気持ちにも配慮しろなどと言っています。
他者の権利を侵害することに対して、
なぜそんな「理解ある態度」が必要なのかと思います。


直接の対論者は選択的夫婦別姓の推進派のかたです。
つまり最初のツイートのかたは
権利を侵害される当人に向かって
「お前たちの権利を侵害する人の
気持ちを考えろ」と言っているわけです。

このような人は、自分の権利を侵害しないと
なくなる価値を主張する人がいた場合、
「その気持ちは理解できます」なんて言って
配慮するのかと思います。

他者の権利の侵害を前提とする「価値」など、
どのような理由や事情があろうとも
認められることではないです。
そんな「価値」は配慮や理解を示すことではなく、
きっぱりと批判し否定することです。



posted by たんぽぽ at 22:39| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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