ジェンダー道徳を持ち出して、夫婦同姓を維持しろ
という、選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)です。
立憲民主党の公式ツイッターが
選択的夫婦別姓に関するツイートをしていたのですが、
そこにリプライしたものです。
政党の公式アカウントは、注目する人が多いですし、
変なリプライをくっつける人も多いと思います。
江戸時代から明治初期にかけて、女大学という女子向け教育本がベストセラーになりましたが、その内容は「妻は夫の家に入り、夫に尽くす事」というような内容が道徳規範として挙げられています。
— 無式MT (@MxxTxxxx) 2019年5月16日
そういった美徳の象徴の夫婦同姓を壊すことは、結婚の意義自体を破壊する事と同じです
「妻は夫の家に入り、夫に尽くす事」などという
因襲的な家族観、ジェンダー観を
現代のわたしたちがなぜ続けなければ
ならないのかという、抜本的な疑問があります。
女性は夫や夫の家のための存在であり、
みずからの主体性は認められないです。
これを受け入れられる女性なんてまずいないでしょう。
最初の選択的夫婦別姓の反対派は、
このような因襲的で差別的なジェンダー観に
もとづいた「道徳規範」に「結婚の意義」がある
という主旨のことも、言っています。
女性の犠牲の上に成り立つ「道徳規範」や
「結婚の意義」など不健全きわまりないです。
さっさと破壊してしかるべきです。
「結婚の意義自体を破壊する事と同じ」という
言いかたを見ていると、最初の反対派(非共存派)は
かかる因襲的な家族のありかたは
現在でも続いていると思っているのでしょう。
明治時代は欧米由来の家父長制に
もとづいた家族制度を定めたので、
「妻は夫の家に入り、夫に尽くす」という
家族・ジェンダー観はあったと思います。
太平洋戦争後は民法を改正して、
婚姻は結婚するふたりのためのものという、
ジェンダー平等的なものになりました。
家父長制という概念はなくなり、
「妻は夫の家に入り、夫に尽くす」という
家族・ジェンダー観はなくなったわけです。
最初の反対派の考える「結婚の意義」は
70年以上前になくなっています。
すでに破壊されているもののに、
破壊してはならないもののように言うのは、
どういうことかと思います。
最初の選択的夫婦別姓の反対派は、
自分の信奉する因襲的な「結婚の意義」を、
夫婦同姓が象徴していると思っているようです。
戦後の民法もずっと夫婦同姓だったから、
「妻は夫の家に入り、夫に尽くす」なんて
因襲的家族観も現在もまだ続いていると
思っているのかもしれないです。