2019年05月30日

検討するのは親が夫婦別姓の子ども

メインブログの5月15日エントリでご紹介した
わたしをミュートした、反中国レイシストの
選択的夫婦別姓の反対派のツイートについたリプライです。

このリプライの人は、親が夫婦別姓だと
子どもが困るとしきりに繰り返しています。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)で、
例によって「ありがちな主張」をしています。

 

根拠は「親が夫婦別姓だと自分は困る」
「自分と同じ考えの人はたくさんいる」です。


この反対派の、自分の親は夫婦同姓です。
いまも親元にいて夫婦同姓の家族の一員なのか、
すでに親元を離れているかまではわからないです。


現在、夫婦同姓の家庭の子どもが、
あるとききゅうに親が夫婦別姓になったら、
それに違和感や抵抗を感じることがあっても、
無理もないだろうと思います。

この反対派のような夫婦同姓の家庭の子どもが、
「親が夫婦別姓だと困る」とか
「自分と同じ人もたくさんいる」といくら主張しても、
それはある意味あたりまえでしょう。
ここでの根拠にはならないということです。

「別の調査」


親が夫婦別姓のときの子どもへの影響を調べるなら、
産まれたときから夫婦別姓の家庭の子は
どうなのかを、検討する必要があります。
「親が夫婦別姓の子ども」というのは、
子ども本人が産まれる前、結婚するときから
両親は夫婦別姓だからです。

夫婦別姓の家庭で暮らす子どもは、
親が夫婦別姓であることに、なんの問題もないことは、
これまでにいくつもの事例が報告されています
いまさら言うまでもないことでしょう。

「子どもの気持ちを考えていますが?」

ものごころついたときから親が夫婦別姓なので、
それであたりまえと思うわけです。
それゆえ親きょうだいで苗字が異なっていても、
問題が生じないことになります。



最初の反対派は、「夫婦同姓の家庭の子の
意見は意味がない」とほかのかたから
批判されても、親が夫婦別姓だと自分は困る、
自分と同じような人もたくさんいると、
同じことを繰り返します。

ここでは「ものごころついたときから
親が夫婦別姓だった子どもはどうなのか」を
考えなければ無意味なことが、
最初の反対派はわからないようです。

「自分と異なる他人がいる」ことや、
「自分と異なる他人の視点で考える」ことが、
理解できない、それくらい想像力が
とぼしいということでしょうか?


posted by たんぽぽ at 23:30| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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