2019年05月28日

夫婦別姓・考える家族の歴史

選択的夫婦別姓についておかしな認識にもとづいた
謎かけ(?)のツイートがあったので、
この謎かけもどきを書いた反対派(非共存派)に、
わたしは反証をしていました。

「選択的夫婦別姓で雷雨や災害?」
「夫婦別姓でなにを化かし合い?」

この選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
「日本の歴史、家族の歴史を考えろ」とも言っています。
また「定番の主張」が出てきました。

 

「歴史」くらい、あなたに言われるまでもなく、
わたしもほかの選択的夫婦別姓の
推進派のかたたちも、たくさん考えていますよ。
次のツイートでお話しているようにです。


(選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)が
なにかというと持ち出して話題にしたがるので、
考えてやっているだけ、とも言えますが。)


わたしのブログなんて、同じようなことを
何度も繰り返し書いています。
耳にたこができているかたもたくさんいそうです。
5月24日エントリを、ここに引用しておきます。

「むかしは夫婦同姓でもない」

江戸時代までは明治以降とは苗字の概念が異なります。
「氏(うじ)」「姓(かばね)」「名字/苗字」は
べつのものあり、使われかたも異なっていました。

「氏」は一族の名前、「姓」は役職を表わしたもので、
大和朝廷の時代に始まる天皇からさずかる名前です。
「名字/苗字」は平安時代の後期に興ったサムライたちが
自分たちの一族の名前として自称したものです。

「夫婦別姓4部作」
「名字の歴史と夫婦別姓」

明治に入って近代的な家族制度を
法律で整えていく際、「氏(し)」「姓(せい)」
「名字/苗字」の区別がなくなり、
同じものを表わすようになります。
「姓」と「名字/苗字」の法律用語が「氏」というくらいです。

現代の意味での「夫婦同姓」「夫婦別姓」は、
基本的に明治以降の概念ということです。
そう考えた場合、「夫婦別姓」も「夫婦同姓」も
どちらも明治以前には存在しないので、
「日本の伝統」でないことになります。


明治の新政府は近代的な家族法や戸籍法を定め、
国民全員が名字を持つようにしました。
このときは「名字は出自を表す」が政府の見解であり、
「妻は生来の名字を名乗る」という通達を、
内務省は出していました。

「反対派の精神構造と思考構造 夫婦同姓は日本の伝統?」
「日本で夫婦同姓になった起源」


その後、不平等条約を撤廃するために、
欧米風の法整備が必要になっていきます。
その過程で欧米の家族法にならって、
日本で夫婦同姓を定めたのは1898年です。



謎かけもどきの反対派(非共存派)は、
「歴史を守れ」とも言っています。
その「歴史」なるものは上でお話していることです。

よって「守る歴史」は欧米の家族法にならって
日本で夫婦同姓を定めたことになると思います。
明治の先人たちが欧米列強に追いつこうとして、
苦労したことかもしれないです。

明治時代に日本は欧米列強に追いつく
切実な必要があったこと、当時の日本の人たちは
そのためによくがんばったし、
一定の成果を出したとは、わたしも思っています。


120年前に日本がならった欧米各国は、
現在ではどこも選択的夫婦別姓を認めています。
夫婦同姓の強制は、日本の輸入元の国ぐにでは、
とっくにやめているということです。

「池上彰・夫婦同姓の問題点を語る」


「守る歴史」や「守る文化」が
「夫婦同姓を定めた法律」ではなく、
「外国に学ぶ姿勢」であれば、
ジェンダー平等の観点から、欧米の民主主義国、
いや国際社会のすべてにならって、日本もすみやかに
選択的夫婦別姓を導入することです。


posted by たんぽぽ at 23:05| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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