2018年12月01日

差別に対する社会の意識の差

11月28日エントリの続き。
フィリピンのかたと、日本のジェンダー問題について
語っているかたのお話です。

「日本をよく知っている外国人」

フィリピンのかたは、日本のジェンダー問題の状況を知って、
「私、一緒に戦いたい!」と言います。

 

ジェンダー差別によって苦しんでいる女性が
この地球上にいるなら、その解決のために
自分も力になりたいということです。
「同胞を救いたい」という考えで、ごく自然な発想だと思います。


伊藤詩織さんが受けたような性暴力被害者に対する
バッシングは英語圏でもあるのですが、
それ以上に支援や連帯の動きが日本よりずっと強い、
つまり支援や連帯が日本はずっと弱い、という指摘があります。

「性暴力被害・社会の多数派の姿勢」


差別主義者はどこの国にもそれなりにいるのでしょう。
「フィリピンには女性団体がたくさんある」と、
フィリピンのかたは言っています。
そういうものがたくさんあるということは、
それだけ対処を要する差別があるということだと思います。

日本と諸外国とで差があるのは、
差別主義者に対する社会の意識や態度だと思います。
「社会は差別に対して積極的に対処する責務がある」
という認識が、諸外国は日本よりあるのだと思います。

ツイートでは日本人のかた(ツイート主)が、
「あるけど、うるさい女扱いされてる」と、
日本の女性団体の扱われ方について言っています。
日本では「社会は差別に対処する責務がある」という意識が
諸外国より薄いので、差別問題を解決しようとする
人や団体に対して、社会が酷薄なのだと思います。


最初のツイートのフィリピンのかたは、
「社会は差別に対して対処する責務がある」という意識が、
外国人である日本人におよんだ、ということだと思います。

なぜ外国人にまでそうした意識がおよぶかですが、
ジェンダー問題のような人権問題は
国際社会における共通の課題という認識が、
定着していることがあると思います。

それゆえ外国人であっても、ジェンダー差別に苦しむ
女性がいれば、それは「自分の課題」でもあると
考えることになるのだと思います。


諸外国では、外国のことであっても、差別で苦しんでいる人が
いるなら力になりたいと考える、最初のツイートに
出てくるフィリピンのかたのような人は、
日本よりは多いのではないかと思います。

「社会は差別問題を解決する責務がある」という意識が、
諸外国は日本より浸透しているようですし、
また「人権問題は国際社会の共通の課題」という意識も、
日本より諸外国は浸透していると思われるからです。


posted by たんぽぽ at 23:58| Comment(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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