いずれも選択できるようにするかか、それとも夫婦同姓を
強制するかという、「選択か強制か」の問題です。
あるいは夫婦別姓と夫婦同姓との共存か、
それとも夫婦別姓を排除し共存を拒絶するかという、
「共存か非共存か」の問題です。
「問題は共存か非共存か」
「夫婦別姓か夫婦同姓か」の問題でないことは、
繰り返し強調しておくことだと思います。
論点は「夫婦は同姓か、選択的別姓か」ではなく「強制的同姓か、選択的同姓か」と言い換えるべきでしょうね。現在が強制的同姓であり、改正の主張は、同姓にするのが任意(選択的)になるということですから。(何も選択しなければ元々別姓のままのはずなので、「選択的『別姓』」と呼ぶ必要はない。) https://t.co/bs0uMpDc8T
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月22日
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は往々にして
「夫婦別姓か夫婦同姓かの対立」のような言いかたをします。
そう言い続けているせいか、反対派の中には
本当に問題が「夫婦別姓か夫婦同姓か」であると、
錯覚を起こしていることもあるようです。
彼ら反対派(非共存派)も、論点が「選択か強制か」では
自分にとって不利だとわかっているのでしょう。
また彼らにも、他人に望まないことを強制するのは
悪いことだ、という意識もあるのだろうと思います。
反対派は自分の不利とやましさをごまかすために、
論点が「夫婦別姓か夫婦同姓か」であるかのように、
印象付けようとするのだと思います。
選択的夫婦別姓について議論をしていると、
「選択か強制か」のお話をしているはずが、
いつのまにか「夫婦別姓か夫婦同姓か」にずれることがあります。
これは反対派(非共存派)が、「夫婦別姓か夫婦同姓か」が
論点であるかのように思わせようとすることも、
原因のうちにあるだろうと思います。
反対派(非共存派)のこのような印象操作によって、
論点が本当に「夫婦別姓か夫婦同姓か」であると、
第三者がミスリードされないよう、注意したいところです。