可能性について、選択的夫婦別姓の推進派は説明しない
などと言っている反対派(非共存派)です。
なにを根拠にこんなことを言うのかと思います。
「推進派は〇〇のことを言わない」という
反対派(非共存派)によくあるパターンだと思います。
「夫婦別姓」の後に起こる、兄弟別姓の可能性に付いては説明しない。
— 真夏の夜の夢 (@sorisu2017) 2018年9月24日
本当の目的は、日本の家族崩壊でしょう。
夫婦別姓の家庭はきょうだいで名字が異なることもある
なんて、いくらでも説明されていることだと思います。
次のようにメディアに登場することもあります。
「親子別姓・子どもの苗字観」
「兄弟で別姓「兄ちゃんみたいに変えようかな」 揺れる「姓」の価値観」
長男は最近、高校受験を機に自ら希望して「ニシザワ」姓に変更した。
ヨウコさんは感慨深かったが、夫と長男は「それで何か変わる?」。
長男は学校で、こう「宣伝」したという。
「俺、名字が変わったんだ、イェーイ!」
現在は、小学4年生の次男だけが「ハシノ」だ。
「僕も兄ちゃんみたいに高校に行くとき変えようかな、
それとも中学になったら変えようかな? まぁ、まだいいや!」と次男。
姓は「家族を表すもの」というより、
「自由に選べるもの」という感覚のようだ。
最初のツイートの反対派(非共存派)は、
「本当の目的は、日本の家族崩壊でしょう」などと、
ふつうの感覚なら「気が触れた」としか言いようのない、
選択的夫婦別姓に否定的なことを言っています。
よってこの反対派(非共存派)は「きょうだいで名字が
異なること」に問題があると考えているのでしょう。
「問題があるのに推進派は説明をしないのは、
本当の目的を隠したいからだ」という発想をしたということです。
そうなると具体的にどんな問題があるのかと思うところです。
上記で引用した記事に登場するきょうだいを見ても、
名字が違っていてもなんら問題はないです。
さしずめ「きょうだいはみんな名字が同じはず」と
決め込んでいるので、きょうだいで名字が違っていると
それだけで問題があるかのように、最初のツイートの
反対派(非共存派)は思っているものと思います。
自分の文化的偏見の反映ということです。
夫婦別姓の家庭に産まれた子どもは、
産まれたときからきょうだいで名字が異なるという
環境にいるので、それをあたり前と思うことになります。
それゆえきょうだいで名字が違っていたところで、
なんら問題にならないということです。
>僕の場合、弟と妹と別姓ですが問題ないですよ
それでふつうだと思います。
結婚改姓したことで苗字が原因で
問題の出てきたきょうだいなんて、
おそらくいないと思います。
結婚改姓すると、自分の実の親や
きょうだいとは異なる苗字になるのですが、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
なぜかそれは問題にしないようです。
(前にも言ったかもしれないですが。)