名字の廃止を主張しろ」と言ってくる人です。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の中に、
ときどきこのような主張をする人は見られます。
夫婦別姓を飛び越して名字をなくせというのは、
どんな極端なお話なのかと思います。
それを主張しないのは何故なんでしょう?
— とんが (@tonga0208) 2018年8月8日
要するに、別姓というのは姓として分ける必要も無い、名前として自身の変わらないアイデンティティを持てればいい、という事ですよね。
誰も言っていないから主張しないのですか?
なぜ名字の廃止論を主張しないかですが、
一般的な日本人は名字と名前の両方を使うからだと思います。
場面によっては名字と名前のどちらかしか
使わないこともありますが、それはどこでもではないです。
またどちらか片方だけ使うとしても、
名字だけの場合と、名前だけの場合があります。
欧米人のように名前が3つも4つもあって、
その中に身分登録に記載されているだけで
ふだん使わない名前があるなら、その名前がなくなっても
それほど困らないかもしれないです。
日本人の場合、名字と名前のどちらもふだん使うので、
どちらかでもなくされたら不便ということです。
このあたりが名字廃止論を主張する人が
出てこないゆえんだろうと思います。
最初の名字廃止論者(いや「選択的夫婦別姓の推進派に
名字廃止論を主張させようとする論者」が正確か)は、
外国ではどうなのかと訊いてきました。
海外は、どういう制度でしたか?
— とんが (@tonga0208) 2018年8月9日
名前だけ?姓名?
それとも、選択制?
名前に対するアイデンティティとか言う割に姓廃止は論じないなんて中途半端な論じ方で海外と比べられるんですか?
諸外国ではほとんどどこも選択的夫婦別姓は認められています。
夫婦同姓が強制されるのは、ほぼ日本だけとなっています。
「夫婦別姓・世界各国の状況は?」
「池上彰・夫婦同姓の問題点を語る」
ということで、台湾情報他、少し追加しました。
— 旧姓利用中男性研究者 (@Okonomiyaki2099) 2018年6月29日
似たような図がたくさんあるので、バージョン番号も追加。 pic.twitter.com/d8AV0f5M2V
選択的夫婦別姓を認めた世界中のどこの国も
名字の廃止を実現させた国はなおさらですが、
議論になった国もどこにもないです。
よって日本で名字の廃止を議論しなくても、
選択的夫婦別姓の議論だけしかしなくても、
ぜんぜん中途半端ではないし、問題なく外国と比較できます。
どこの外国でも取りざたされていない
「名字廃止論」なんて議論したら、そちらのほうこそ
外国と比較できなくなるというものです。
ようは「選択的夫婦別姓を認めてほしいなら、
名字の廃止も認めろ」という「抱き合わせ論」です。
「選択的夫婦別姓を認めてほしいなら
一夫多妻も認めろ」のたぐいと同じ主張です。
「夫婦別姓と一夫多妻の関係」
選択的夫婦別姓に反対することが難しいので、
関係ないものを持ってきて、これも一緒に議論しろ言って、
論点を拡散させようということだと思います。
付記1:
「選択的夫婦別姓を主張する前に、名字の廃止を主張しろ」と
主張する人は、選択的夫婦別姓が実現するくらいなら
名字をなくしたほうがましと考えているのでしょう。
隣人に夫婦別姓の家族がいるより、あなたもわたしも
名字がないほうが、心地がよいということです。
そこまでして夫婦別姓を忌避する感情が理解できないです。
というか、そこまでして夫婦別姓は忌避され
否定されなければならないのかと、わたしは思います。
付記2:
反対派(非共存派)は、「選択的夫婦別姓の導入には
国民の多くが理解する必要がある」と言うことがあります。
名字の廃止を主張する反対派は、名字廃止は少なくとも
選択的夫婦別姓よりは、国民の多くから理解が
得られると考えているのでしょうか?
「国民の多くが受け入れる必要がある?」
「選択的夫婦別姓・国民的議論が必要?」
国民の多くは、選択的夫婦別姓の導入より
名字の廃止のほうを、極端な意見と考えると思います。
そして前述のように、ほとんどの人は名字と名前の両方を
使うという現状を考えれば、名字廃止は選択的夫婦別姓より
ずっと国民の理解が得られないと思います。
付記3:
そこまで名字の廃止を主張する「とんが」氏は、
きっとご自分かお知り合いのかたが、名字を使わされることで、
日常生活にいろいろと不都合を感じているのでしょう。
そうであれば「とんが」氏がみずから
名字廃止論を訴えればいいと思います。
名字を使わされることでどんな不便や不利益があるのか、
ネットその他で主張すればいいでしょう。
説得力があれば賛同者や支持者も現れると思います。