2018年08月28日

社会全体の観点から話すのはだれか?

「四条烏丸(旧:もも281)」という選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)が、「選択的夫婦別姓の反対派は
社会全体の観点から、推進派は自分たち個人の観点から
話している」などと言っています。

なにをのぼせたことを言っているのかと思いますが、
同じことを考える反対派(非共存派)は結構いると思います。

 


選択的夫婦別姓の推進派は、個人的な体験を
自分だけの問題にとどめず、多くの人が共有する
社会全体に一般化できる問題として扱っています。
「個人的なことは政治的なこと」です。

自分の個人的問題の解決を追求することで、
社会の中にいる同種の問題を抱える人たち
すべての問題が解決することを目指すことになります。
推進派はじゅうぶん社会全体を考えていると言えます。


選択的夫婦別姓の反対派は、社会全体を考えている
体裁を装っていますが、彼らの主張のほとんどは
「夫婦同姓は日本の伝統」など事実や根拠にもとづかない、
デマや妄想レベルの主張をしているだけです。

「夫婦別姓で子どもがいじめられる」や
「夫婦別姓で家族が崩壊する」などは、
個人的妄想というだけでなく、デマを拡散させることで、
社会全体を混乱させることにもなります。
それは「社会全体を考える視点」とはおおよそ正反対の、
社会に対する破壊的行為でさえあると言えます。

反対派の精神構造をつきつめると、
「夫の名字を名乗らない女は気に入らない」という、
差別的な動機に行きつくと、簡単には言えるでしょう。
それはまったく個人的で独善的というものです。


選択的夫婦別姓の推進派は、夫婦同姓を希望する人も
夫婦別姓を希望する人も、どちらも希望の選択が
できるように民法改正することを主張しています。
「全体の利益」を目指しているのであり、
「社会全体を考えている」と言えます。

選択的夫婦別姓の反対派は、夫婦別姓を希望する人を
無視して、夫婦同姓を希望する人だけしか
希望の選択ができない社会を維持しようとします。
「部分の利益」に固執しているのであり、
「社会全体を考えている」とは言えないことになります。

本当に「社会全体の観点から話す」かたなら、
少数派の権利にもじゅうぶん配慮します。
少数派の権利をないがしろにしている時点で、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
「社会全体の観点から話していない」ということです。




posted by たんぽぽ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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