2018年08月11日

選択的夫婦別姓のなにがエゴ?

8月3日エントリと8月4日エントリでお話しした
告げ口もちゃんとできない選択的夫婦別姓の反対派は、
「マジョリティの権利を無視するマイノリティは
エゴのかたまり」とも言っています。

「夫婦別姓の希望が多数派の調査」
「「偏ったアンケート」と言ってたよ」

マイノリティ(選択的夫婦別姓の導入を求める人)から
無視されるらしい「マジョリティの権利」なるものは、
ここではいったいなんのことなのかと思います。


 


選択的夫婦別姓の導入によって認められることは、
現行の夫婦同姓とともに、夫婦別姓も選択できることです。
「マジョリティの権利」が「夫婦同姓を選択する」ことなら、
選択的夫婦別姓の導入後も認められますから、
それが「権利を無視される」ことではないでしょう。


「他人が夫婦別姓を選択することを否定する」ことが、
「無視される権利」では、まさかないですよね?
「他人の権利の否定」は「権利」ではないです。
「権利」と主張するなら、それこそ「エゴのかたまり」です。

他人の権利を無視することが「エゴ」だというなら、
夫婦別姓の選択をしたい人の権利を無視している、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)こそ、
やはり「エゴのかたまり」ということになります。


最初のツイートのかたは、選択的夫婦別姓に
反対することで、現在進行形で「エゴのかたまり」を
発揮しているのに、他人をエゴイスト呼ばわりするのですから、
盗人たけだけしいと思います。
「俺のエゴを認めないお前はエゴ」という、ある意味露骨な主張です。



最初のツイートの反対派は、選択的夫婦別姓の実現で、
どんな「マジョリティの権利」が「無視される」のか、
具体的なことを結局言わなかったのでした。

なにが「エゴ」なのかはっきりしないのに、
「自分のエゴを認めろ」などと言われたところで、
存在しない「エゴ」など認めようがないです。



被差別マイノリティが権利を主張すると、
「マイノリティはマジョリティの権利を侵害する」と
主張するのは、差別問題やマイノリティ問題に
見識のない人がよく言い出すと思います。

このような人は、マジョリティが持っていない「特権」を
被差別マイノリティが要求しているとでも、
思っているのかもしれないです。

被差別マイノリティが主張する権利は、
マジョリティはたいていすでに持っているものです。
マジョリティゆえにすでに権利を持っていることが
当たり前すぎて、わからなくなっているのでしょう。
空気の存在をふだん意識しないのと同じようなものです。



被差別マイノリティの権利を侵害するマジョリティは、
その自己中心性を批判されることがあります。
それでマイノリティとマジョリティを入れ替えることで
「意趣返し」をしたということかもしれないです。

このような考えをする人は、マイノリティとマジョリティは
社会構造上対称であり、おたがいを入れ替えた主張が
成り立つとでも思っているのでしょう。

マイノリティは社会的に弱者であり、
マジョリティは強者の立場にあります。
双方が社会構造上非対称であることはあきらかです。
おたがいを入れ替えた主張など当然成り立たないです。


差別問題は多くのケースにおいて、マジョリティが
被差別マイノリティの権利を侵害する構造になっています。
マイノリティの権利が認められることは、
マジョリティによるマイノリティの権利侵害が
できなくなるということでもあります。

このような権利侵害ができなくなることを、
「マジョリティの持っているなにかが失なわれる」と思って、
マジョリティが被害を受けると感じるのかもしれないです。
このような理由でマジョリティがマイノリティに対して
被害者意識を持つことはよくあります。

権利侵害なんて禁止されてとうぜんのことです。
加害者が加害行為をできなくなることを、
「被害を受ける」と考えるのは、おかしなことです。

マジョリティの失なうものは、あるとすれば
「既得権」であって「権利」ではないです。
「マジョリティはマイノリティの権利を
侵害できるのが本来、それを手放すのだから被害」などと
考えているなら、それこそ「エゴのかたまり」です。


posted by たんぽぽ at 23:09| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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