2018年07月29日

都合いいときだけマイノリティ?

「カンフー(旧: もも281、現: 四条烏丸)」は、
ついにこんなことを言うようになりました。

「マイノリティ」とは、具体的には選択的夫婦別姓の
実現を求める人を意識していますが、
「都合のいいときだけ被差別マイノリティ」で、
しかも「被差別マイノリティであれば
なにをしてもいいと思っている」のだそうです。

「カンフー」もいかにも無理解な差別主義者か、
逆張りに興じる反反差別の人らしくなってきたと思います。

 

「都合よいときだけ弱者でマイノリティ」というのは、
どうしたらそんなことができるのか
というのが、わたしはまず疑問に思うところです。

選択的夫婦別姓の実現を求める人たちは、
「いつでも」被差別マイノリティです。
ほかの被差別マイノリティも同様ですが、
差別する人たちがいるかぎり、被差別マイノリティであり続けます。
「都合よいときだけ」被差別マイノリティではないです。

被差別マイノリティは自分からはやめられないです。
差別や抑圧をする人たちが差別や抑圧をやめたとき、
はじめて被差別マイノリティでなくなります。
よって「都合よいときだけ」被差別マイノリティでいる
ということなんて、そもそもが不可能です。


被差別マイノリティでいることが「都合がよい」のは、
いったいどんなときなのかとも思います。
被差別マイノリティいることは、いつだって「都合が悪い」です。
「カンフー」は被差別マイノリティでいることで、
「都合がいい」ことがあると思っているのでしょうか?

わたしが想像するに、「カンフー」が被差別マイノリティ
(ほとんど選択的夫婦別姓の推進派だと思いますが)と
接する機会は、自分が差別的な言動をやらかしたときの
批判者であることが、ほとんどではないかと思います。

批判する相手は的確な反論をしますから、
「カンフー」の見識ではじき太刀打ちできなくなります。
それを相手が絶対的な正義を振りかざしている
ように見えて、被差別マイノリティでいることが
有利であるように見えるのだろうと想像します。

選択的夫婦別姓を求める人たちを含めた
被差別マイノリティが、ふだんどんな抑圧をされ
理不尽な扱いを受けているのか、
おそらく「カンフー」は知らないし、知ろうともしないし、
想像力も働かないのだろうと思います。


posted by たんぽぽ at 23:47| Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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