現在ツイッターのアカウントが凍結している
選択的夫婦別姓の反対派「riosis11」は、
ほかにもとてもすごいことを言っています。
なんと「自分に対する差別は許さない、なんて言っていない」です。
最後に「はいろんぱ」がついて強調されてもいます。
間違いなく「言っていない」と否定しているのでしょう。
それならやはり「riosis11」は、自分が差別されてもいい、
自分が差別されることを許す、ということですね。
「差別はあってもいいと言うなら、自分が差別されても
かまわないということ」と、わたしは前に言っていました。
「riosis11」はやはり、自分が差別されても
かまわないから、「差別はあってもいい」と
言っていた、ということでいいみたいですね。
「差別はあっていい?それなら…」
「riosis11」はなにをごちゃごちゃと、
わたしに反論しているのかと思います。
わたしは「riosis11」の主張を的確に把握し、
筋の通ったことを言っていたのではありませんか?
「許さないと言っていない=許すと言っている」ではない、
という解釈をする余地はあるでしょう。
それでもだれかが「riosis11」を差別したところで、
それは「許されないわけではない」ことになります。
「riosis11」はなぜに「自分を差別しようと
扇動している、助けてください」なんて、
「泣きごと」を言うのかと思います。
それは「許されないわけではない」ことのはずです。
扇動されたところで助けてもらうことではなく、
おとなしく扇動されていればいいのだと思います。
扇動する人は「許されないわけではない」ことを
しているだけですから、扇動を批判されるいわれはないでしょう。