結婚改姓を望んでいるという認識の
選択的夫婦別姓の反対派をご紹介しました。
このかたは子どもや孫と名字が異なる家族は
ぞっとするなどとも言っています。
相手の姓を称することが苦痛だという意味が分かり兼ねる。そんなことで夫婦やっていけますか。結婚の初めから苦痛を伴う結婚はしないほうがいいと思うけど。合理的といいますが、子供、孫の姓がそれぞれ違う家族なんてぞっとしませんか。手紙書くのもメモを見ないと分からないなんてことも。 https://t.co/yp6oCB3cTh
— tensyobo (@ktpfz) 2018年7月1日
子や孫と名字が異なることなんて、
夫婦同姓が強制されている現在でも
(夫婦同姓が強制されているからこそ)いくらでもあります。
現代の日本では女性が結婚改姓することが多いです。
それゆえそのような結婚した女性は、
自分の両親と名字が異なることになります。
そして孫は、母方の祖父母と名字が異なることになります。
おじいちゃんと名字が違ってぞっとしましたか?
おばあちゃんに手紙を書くのにメモが必要でしたか?
『サザエさん』に出てくる磯野波平は、
孫のフグ田タラオと名字が異なります。
「サザエさんの一家は、ぞっとする家族だ」なんて、
いつも思っていたのでしょうか?
たいていのかたは、祖父母と名字が違っても、
なんら問題を感じなかったと思います。
名字が理由で家族をやっていけないなんて
思ったかたは、どこにもいないでしょう。
女性の結婚改姓によって、名字が異なる
子や孫が出てくることを無視する(気がつかない)のは、
選択的夫婦別姓の反対派にときどき見られます。
結婚改姓で相手の女性が自分と同じ
名字になることばかり目が行くのでしょう。
名字の異なる子や孫が出てくるのは、
ほとんどの場合母方であることを考えると、
このような反対派の考える「家族」とは、
父方だけの男性中心的なものだとも言えます。
孫のフグ田タラオと名字が異なります。
「サザエさんの一家は、ぞっとする家族だ」なんて、
いつも思っていたのでしょうか?
なるほど!
ところで、夫婦別姓反対派である安倍晋三首相は、2人の「祖父」のうち、苗字が同じである父方の祖父(安倍寛・元衆議院議員)より、苗字の異なる母方の祖父(岸信介・元首相)を尊敬しているそうです。
https://search.yahoo.co.jp/amp/lite-ra.com/i/amp/2015/05/post-1128.html%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoATgA
安倍首相が母方の祖父を尊敬するのは個人の自由かもしれませんが(おじいちゃんコンプレックスをこじらせ、タカ派的な政策を進めるのなら、個人の自由では済まされないのかもしれませんが)、自らの言動とは少し矛盾しているのではないでしょうか。
(別姓反対派は、苗字が違うと家族の一体感が失われるとよく言いますが、安倍晋三は岸信介と一体化したがっているのではないかという感じの指摘は結構あります)
>なるほど!
サザエさんの家は、ひとつの家にふたつの名字、
現行の夫婦同姓の強制でも、異なる名字の家族があることを、
はっきりしめしていることになります。
フィクションだけど、じゅうぶん現実的ですからね。
『サザエさん』はいろいろな意味で
日本の家族のありかたを考える際に
引き合いに出されるし、実際格好の例だと思います。
ポジティブ、ネガティブの両方がありますが。
>https://search.yahoo.co.jp/amp/lite-ra.com/i/amp/2015/05/post-1128.html%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoATgA
ご紹介ありがとうございます
安倍晋三は岸信介が大好きなのですよね。
「自分は政治的に岸信介のDNAを引いている」
という主旨のことを言ったことがあります。
名字が違っていても、ちゃんと一体感を持つことは
できるではないかと思います。
安倍晋三はもうひとりのおじいちゃん安倍寛は
気に入らないそうですが、名字が同じでも一体感を
持てないことはあるということですね。
>自らの言動とは少し矛盾しているのではないでしょうか。
安倍晋三ご本人もそうですが、「名字が一緒で
家族の一体感」と金科玉条のように唱えている人は、
安倍晋三の尊敬するおじいちゃんが、安倍寛ではなく
岸信介というのは、どう考えているのかと思います。
>安倍晋三ご本人もそうですが、「名字が一緒で
家族の一体感」と金科玉条のように唱えている人は、
安倍晋三の尊敬するおじいちゃんが、安倍寛ではなく
岸信介というのは、どう考えているのかと思います。
私もそう思いました。
ただ、これにはやむを得ない部分があるんですけどね。
1954年生まれの安倍晋三から見て父方の祖父・安倍寛は、1946年に死去しています。
(一方、母方の祖父・岸信介は1987年に死去)
当然、安倍晋三は安倍寛と会ったことは一度もないのです。
ただ、安倍晋三は(何度も顔を合わせているはずの)父親である安倍晋太郎以上に祖父の岸信介を尊敬しているらしく、「苗字が同じ=一体感」という理屈は? あれっと思います。
またまたコメント、ありがとうございます。
>1954年生まれの安倍晋三から見て
>父方の祖父・安倍寛は、1946年に死去しています。
>(一方、母方の祖父・岸信介は1987年に死去)
安倍寛は安倍晋三が産まれるだいぶ前になくなっているのですね。
(生年、没年まではぜんぜん知らなかったです。)
それなら安倍寛のことなんて、印象にないわけで、
とくべつな感情がなくても無理もないですね。
岸信介がなくなったのは、安倍晋三が33歳のとき。
おとなになってからもだいぶ生きていたおじいちゃんですね。
>安倍晋三は(何度も顔を合わせているはずの)父親である
>安倍晋太郎以上に祖父の岸信介を尊敬しているらしく、
それ自体はなにも問題はないのですよね。
自分が産まれる前に死んだおじいちゃんよりも、
生きている間に何度もあったおじいちゃんのほうが
好きだというのは、むしろ自然なことですし。
「苗字が同じで家族の一体感」なんて言うから
反証に使われることになるということですね。
わたしもわかると思います。
たとえ忘れても、べつだん困らないと思います。
孫を苗字で呼ぶことはないだろうからです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
急先鋒だった安倍晋三に、苗字が異なる
弟や祖父がいた、という事実があるのは
重要なことかもしれないです。
安倍晋三本人も、一般の反対派(非共存派)諸氏も
なぜかこの重要な事実を無視するようですが。
>何者かに洗脳されていたような
統一教会かもしれないです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/491583547.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/491583574.html