決めるかで揉める」という主張は、最近の選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)によく見られると思います。
なにを根拠にこんなことを言うのかと思います。
同様の主張をする反対派(非共存派)は多いので、
彼らにとっては納得しやすいのでしょう。
子供がどちらの氏を名乗るかで争うのは間違いないでしょう。自分の氏は愛着があるというのが別氏派なんですから、子供が自分の氏を名乗るほうが子供に愛着がある
— たくろう (@takurou7) 2018年5月6日
現在の日本でも、事実婚、通称使用、国際結婚で
夫婦別姓の家族はありますが、子どもの名字を
決める際にもめたという報告はないです。
ほとんどのケースにおいて、話し合いによりこれといった
トラブルもなく決まる、ということだと思います。
彼ら反対派(非共存派)は、夫婦別姓の家庭で
子どもの名字を決める際にもめたという実例を、
一度も見たことがないのではないかと思います。
それをなぜ「まちがいないでしょう」なんて、
自信を持って断定できるのかと思います。
子どもに自分の名字を名乗らせる必要があるのは、
家名の継承のための夫婦別姓だと思います。
この場合、父母の両家で継承する必要がある場合、
子どもをふたり産んで、ひとりは父親の名字、
もうひとりは母親の名字をつけることになります。
このような家庭は、結婚する前からふたり以上の
子どもを持つ家族計画を立てていると思います。
計画通りいかなかったとしても、それはその家庭の問題であり、
選択的夫婦別姓法案の問題ではないです。
反対派は選択的夫婦別姓に反対するために、
「子どもがかわいそう」とか「子どもがいじめられる」とか、
「きょうだいで別姓はおかしい」とか、
子どもを楯に取ることがよくあります。
「長尾たかし・選択的夫婦別姓に反対」
「子どもの名字で揉める」も、こうした子どもを楯に取った
反対のうちということかもしれないです。
政治問題に子どもを持ち出すのは、
分が悪い証拠と言っておくことにします。
「政治問題に持ち出す子ども」
「夫婦別姓だと子どもの名字で揉める」という
反対派(非共存派)の主張を支えるのが、
「夫婦別姓にしたい人は自分の名字に愛着があるから、
子どもにも自分の名字を名乗らせたいはずだ」という認識です。
結婚改姓したくないかたで、自分の名字に愛着があるから
子どもにも自分の名字を名乗らせたいというかたを、
わたしは知らないですよ?
「自分の名字に愛着がある」というのは、
あくまで自分が名乗る場合の便宜や都合の問題です。
子どもを含めて自分以外のだれかに自分の名字を
名乗らせたいということではないです。
むしろ子供に自分の姓を名乗らせて愛着、て発言こそ歪んでいる。
— わんわん (@wanwan_nz) 2018年5月10日
彼らは「自分の名字に愛着がある」と、
言われるのを聞きかじって、意味がわからないまま、
選択的夫婦別姓反対の自分の主張に都合がいいように
解釈したということかもしれないです。
結婚改姓したくないかたの気持ちや考えなんて、
彼ら反対派(非共存派)はしょせん理解できないし、
理解する気もないのかもしれないです。
「自分の名字に愛着があるなら、子どもにも
自分の名字を名乗らせたいはずだ」などと断定する
反対派に対してわたしが思うのは、なぜ他人の考えを
「こう考えている」と断定できるのかということです。
選択的夫婦別姓に反対するくらいですから、
自分は夫婦別姓を選択することはないでしょう。
結婚改姓したくない人は、自分とまったく異質の他人です。
異質の他人の考えは容易にはわからないと思います。
簡単に決めつけないでほしいものです。
https://t.co/FIAur9Xlv9 あなたは選択的夫婦別姓に反対するくらいだから、自分は絶対に夫婦別姓を選ばないと思います。「別姓派」はあきらかに自分と異質の他人なのに、なぜに「こう思う」と断言できるのかと思います
— たんぽぽ (@pissenlit_10) 2018年5月10日
別姓待望(本来姓継続使用)派だけど、子どもの名前は夫の姓で全然オッケーだよ。なんで決めつけるの?わたしはあなたじゃないし、あなたは別の誰かじゃないでしょ?万一争ったとしてもあなたには関係ないよね。二人で決めれば良くない?
— 3a8(ab) (@saya_fairyland) 2018年5月10日
おそらく半永久的に理解できないと思います。
彼ら反対派(非共存派)は、
他者のお話を聞く耳を持っていないです。
なのでいくら事実や根拠を示した
お話を聞いても、あたまの中に
残らないものと思います。
それゆえ何度も繰り返し反証されたことでも、
彼ら反対派(非共存派)は、
同じ主張を繰り返すことになります。