2018年06月26日

ルールと文化はなんのため?

ありがちな主張をする選択的夫婦別姓の反対派です。
どれも何度も聞いていることばかりだと思います。

ルールで文化で伝統だと、なぜ人権でなくなるのかと思います。
これらが人権を抑圧することはすくなからずあります。
また人権を抑圧したい人が、よく持ち出すと思います。
まさにツイートのかたがなさっていることだと思います。


 


現行の民法は夫婦同姓を強制しているので、
結婚するとどちらかが結婚改姓する必要があります。
これによってアイデンティティや職業上のキャリアに
かかわったり、改姓にともなう手続きの負担が出てきます。

よって結婚によって生来の名字を変えないことは
れっきとした権利であり、選択的夫婦別姓は人権問題になります。
それゆえ国連女子差別撤廃委員会から、
選択的夫婦別姓を早く実現するよう、
何度も勧告を受けることにもなっています。

「CEDAW日本審査・民法改正」
「CEDAW日本審査・民法改正(2)」

現実問題として、社会通念による圧力などがあり、
96%の婚姻のケースで女性が改姓します。
結婚改姓の不利益を被るのは、ほとんど女性になります。
よって不平等であり、ジェンダー差別があることになります。

「現行法は男女どちらの姓も選べるから平等?」


日本で夫婦同姓となったのは明治の後半です。
ヨーロッパの家族法にならって定めたものです。
不平等条約を撤廃するために欧米風の法整備が必要になったので、
夫婦同姓を民法で定めることになったのでした。

夫婦同姓はヨーロッパから輸入したものであり、
「日本の伝統」ではぜんぜんないです。

「夫婦同姓は日本の伝統?」
「日本で夫婦同姓になった起源」



最後に「共通のルールであり文化」のくだりを見てみます。
「ルール」や「文化」はかならずしも
よいものや必要なものとは限らないです。
悪い文化がいつまでも残っていることもあるし、
ルールも時間が経って現実に合わなくなっていることもあります。

悪い文化や現実に合わないルールは、
むしろ積極的になくしたり変えたりする必要があります。
夫婦同姓の強制を維持するべきだというなら、
夫婦別姓が求められているにもかかわらずなぜそれでいいのか、
とくに選択的夫婦別姓を望む人たちが
納得できる理由を、反対派は示す必要があるでしょう。


選択的夫婦別姓の反対派は、「ルール」「文化」と言えば、
それを一切否定せず、無条件で受け入れなければ
ならないものとでも思っているのかもしれないです。
「伝統」も同じように持ち出されることが多いです。)
「ルール」「文化」がこのようなものだとするなら、
「ルール」「文化」のために人間が存在することになります。

もともとは「ルール」「文化」というのは、
人間が生活するために作り出された人間の「被造物」です。
「ルール」「文化」のために人間がいることになれば、
「ルール」「文化」を作った目的に反して本末転倒です。
「創造主」である人間に対する反逆になります。


posted by たんぽぽ at 06:59| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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