どれも何度も聞いていることばかりだと思います。
ルールで文化で伝統だと、なぜ人権でなくなるのかと思います。
これらが人権を抑圧することはすくなからずあります。
また人権を抑圧したい人が、よく持ち出すと思います。
まさにツイートのかたがなさっていることだと思います。
マジで夫婦別姓とか止めて欲しい。
— 秋華 (@syuka56) 2018年6月15日
こんなものは人権でもなんでもない。
共通のルールであり文化であり伝統であり、日本国内では平等なもの。 https://t.co/2TIQJC46ug
現行の民法は夫婦同姓を強制しているので、
結婚するとどちらかが結婚改姓する必要があります。
これによってアイデンティティや職業上のキャリアに
かかわったり、改姓にともなう手続きの負担が出てきます。
よって結婚によって生来の名字を変えないことは
れっきとした権利であり、選択的夫婦別姓は人権問題になります。
それゆえ国連女子差別撤廃委員会から、
選択的夫婦別姓を早く実現するよう、
何度も勧告を受けることにもなっています。
「CEDAW日本審査・民法改正」
「CEDAW日本審査・民法改正(2)」
現実問題として、社会通念による圧力などがあり、
96%の婚姻のケースで女性が改姓します。
結婚改姓の不利益を被るのは、ほとんど女性になります。
よって不平等であり、ジェンダー差別があることになります。
「現行法は男女どちらの姓も選べるから平等?」
日本で夫婦同姓となったのは明治の後半です。
ヨーロッパの家族法にならって定めたものです。
不平等条約を撤廃するために欧米風の法整備が必要になったので、
夫婦同姓を民法で定めることになったのでした。
夫婦同姓はヨーロッパから輸入したものであり、
「日本の伝統」ではぜんぜんないです。
「夫婦同姓は日本の伝統?」
「日本で夫婦同姓になった起源」
同姓を名乗れとされたのは明治31年(西暦1898年)。明治も随分進んでから。なんでかというと、不平等条約撤廃のために欧米列強風の法整備が急がれたかららしい。何のことはない、夫婦同姓は伝統でも何でもなく、むしろ儒教由来の同姓不婚の伝統を破って、欧米化するために作られた制度ということだ。
— mipoko (@mipoko611) 2018年1月27日
最後に「共通のルールであり文化」のくだりを見てみます。
「ルール」や「文化」はかならずしも
よいものや必要なものとは限らないです。
悪い文化がいつまでも残っていることもあるし、
ルールも時間が経って現実に合わなくなっていることもあります。
悪い文化や現実に合わないルールは、
むしろ積極的になくしたり変えたりする必要があります。
夫婦同姓の強制を維持するべきだというなら、
夫婦別姓が求められているにもかかわらずなぜそれでいいのか、
とくに選択的夫婦別姓を望む人たちが
納得できる理由を、反対派は示す必要があるでしょう。
選択的夫婦別姓の反対派は、「ルール」「文化」と言えば、
それを一切否定せず、無条件で受け入れなければ
ならないものとでも思っているのかもしれないです。
(「伝統」も同じように持ち出されることが多いです。)
「ルール」「文化」がこのようなものだとするなら、
「ルール」「文化」のために人間が存在することになります。
もともとは「ルール」「文化」というのは、
人間が生活するために作り出された人間の「被造物」です。
「ルール」「文化」のために人間がいることになれば、
「ルール」「文化」を作った目的に反して本末転倒です。
「創造主」である人間に対する反逆になります。