2018年06月17日

差別構造を個人の問題に転嫁

「もも281(現jhansi2018)」が、
「結婚改姓の圧力がかかる」と「結婚の圧力がかかる」に
すり替えて、選択的夫婦別姓を求めるかたを
あざ笑ったツイートを、何回かご紹介しました。

「結婚改姓の圧力を理解できない」
「だから差別や誹謗中傷ができる?」

 


現在は法律で結婚するふたりのうちどちらかが
改姓することが求められ、夫婦のどちらも
結婚改姓しない結婚が、法的に認められないです。
そして現在の社会通念や圧力で
結婚改姓を余儀なくされるのは女性が多いです。

あきらかに法的な制度や社会構造のせいで、
女性が結婚改姓をしいられるのですから、
ここにはジェンダー差別があると言わざるをえないです。
それを「個人の問題にすぎない」と矮小化するのは、
差別主義者の典型的な主張です。


たとえば結婚相手が同和地区出身者だったので、
周囲から結婚に反対されたとします。
「同和地区出身者だと反対されるのも
結婚の要素のひとつだから、同和地区出身者が差別されるなんて、
声高だかに言うのはどうでしょう?ww」と、
「jhansi2018(旧もも281)」は言うのかと思います。

あるいは自分は在日コリアンだと結婚相手が知ったので、
相手から婚約を解消されたとします。
「在日コリアンだから差別されているとか、
世の中のせいにするのは間違い。個々の夫婦の問題だから、
在日コリアンと結婚しない人とは別れればいいじゃん」と、
「jhansi2018(旧もも281)」は言うのかと思います。


法的制度や社会の差別構造に原因がある問題を、
「個人の問題にすぎない」と転嫁していいという
「jhansi2018(旧もも281)」の理屈によれば、
これらの主張も成り立ちます。

「jhansi2018(旧もも281)」の認識の世界では、
同和地区に対する差別も、在日コリアンに対する差別も
「個人の問題」となり、差別は存在しないということです。

posted by たんぽぽ at 23:42| Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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