選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の中には、
ときどきこんなことを言う人がいると思います。
この「おたがい」は少し考えるとおかしいことがわかります。
同じ苗字になるためになにかする(結婚改姓する)のは、
夫婦のうちの一方だけ(通常女性)だからです。
苗字に関してなにかすることで「愛を示す」というなら、
ここで「愛を示す」のは改姓するひとりだけです。
改姓しないほうはここでは愛を示さないことになります。
よって「おたがいの愛」ではないです。
お互い愛しているから、同じ苗字。
— Hannah Ethan (Retrieve the abductees) (@2178810807307) 2018年4月9日
「自分が改姓する」なら「自分だけから相手に捧げる愛」です。
この点に関して相手はなにもしていないです。
よってそれを「おたがいの愛」なんて言わなくていいし、
また言わないほうがいいと思います。
「相手に改姓させる」なら「相手にだけ一方的に要求する愛」です。
相手だけが改姓して自分はなにもしないのですから、
それを「おたがい」と言うのは、独善や欺瞞になるでしょう。
とくに選択的夫婦別姓の反対派で男性の場合、
自分は改姓する気はなく、結婚相手の女性に改姓させて
夫婦同姓となることを当然と考えていると思います。
そのような彼らが「おたがい」などと表現するのは、
独善と欺瞞がいっそうきわまることになります。
「夫婦同姓だと愛がない」と言いたいのでは、もちろんないですよ。
夫婦同姓はどちらかひとりにだけ改姓を要求するのに、
それを「おたがい」というから異議があるということです。
結婚後の苗字の問題で「おたがいの愛」を主張するなら、
夫婦新姓にして夫婦両方で新しい苗字に改姓するか、
夫婦ともに改姓しない夫婦別姓になるでしょう。
苗字に関するアクションが、夫婦で同じで「おたがい」です。
夫婦別姓や夫婦同姓でも自分が改姓することに
納得いかない選択的夫婦別姓の反対派は、
「おたがいの愛があるから夫婦同姓」などと言わないことです。
夫婦同姓の「おたがいの愛」は苗字以外のところに
あることを認める必要があるでしょう。
付記:
最初のツイートの反対派(非共存派)は、
6月13日エントリでご紹介の、選択的夫婦別姓の導入を
後進国のまねだと信じているかたです。
「結婚後の苗字・真の後進国はどこか?」