2018年06月08日

夫婦別姓を賛美しない理由

選択的夫婦別姓の実現を望んでいるかたは、
6月7日エントリでご紹介の反対派(非共存派)が、
夫婦同姓を過剰なまでに賛美するみたいに、
過剰な夫婦別姓の賛美をすることはないようです。

「夫婦同姓を礼賛する精神構造」

わたしはそのような「賛美」をしたことはないです。
ほかの選択的夫婦別姓を望むかたを見ても、
「賛美」をするかたはほとんどいないようです。

 
「切実さ」に関しては、選択的夫婦別姓の実現を
求めるかたたちのほうが、選択的夫婦別姓に反対するかたちが
夫婦同姓を求めるよりずっと大きいと思います。

そこで、なぜ夫婦別姓を希望するかたは、
「夫婦別姓は素晴らしい」のような賛美をしないのか
について、わたしの思うところを少しお話します。


選択的夫婦別姓の実現を求めるのはなぜかと言えば、
アイデンティティとか、キャリアの継続とか、
改姓手続きの負担をなくしたいといった、
生活における現実的な問題を解決するためです。

「夫婦別姓は素晴らしい」のような感情論で、
選択的夫婦別姓を望んでいるかたは、ほとんどいないと思います。
それゆえ夫婦別姓の「賛美」なんてしないし、
そもそも「賛美」するたぐいのものではないと、
思っているのだろうと思います。


選択的夫婦別姓の実現を求めるかたは、
つまり自分と同じ選択をする人を多数派にしたいと
思っていることも、ほとんどないと思います。
(多数派になればそれはそれで有利なので、
多数派になれるに越したことはないですが。)

選択的夫婦別姓の実現を求めるかたは、
つまり自分と同じ選択をする人を多数派にしたいと
思っていることも、ほとんどないと思います。
(多数派になればそれはそれで有利なので、
多数派になれるに越したことはないですが。)

あくまで自分の望む選択が認められればいいと
考えているので、自分が夫婦別姓が選択できれば、
多数派か少数派かはどうでもいいと考えていると思います。
それゆえ「夫婦別姓を選択する仲間」を増やすための
「布教活動」も必要なく、「夫婦別姓の賛美」をする
必要もないのだろうと思います。


選択的夫婦別姓を望むかたは、他人に夫婦別姓を
すすめること自体、ほとんどないと思います。
そういえばわたしも、他人に夫婦別姓をすすめることはないです。


これも自分たち夫婦別姓を選択する人が
多数派になることの必要や関心が薄いことがあると思います。
選択的夫婦別姓を望むかたが関心があるのは
自分の選択が認められることで、他人がどんな選択をするかは、
基本的に関心がないということです。

夫婦別姓の希望者は他人からカチカンを
押し付けられることに、へきえきしていることも多いです。
それで他人にも夫婦別姓をすすめることは、
他人のカチカンに介入することになりかねないので、
したくないのもあるだろうと思います。

すでに夫婦別姓を希望しているかたであれば、
その立場の理解や助力することは、わたしはあります。
このあたりも、ほかの選択的夫婦別姓を求めるかたも、
同様ではないかと思います。


自分がなぜ夫婦別姓を選択したいか
(結婚改姓したくないか)は、自分が生活する上での
必要があるからで、理由ははっきりしていると思います。
また選択的夫婦別姓を導入する必要も、
事実や根拠にもとづいた、実証的な議論があります。

夫婦別姓を希望するかたや、選択的夫婦別姓の導入を
求めるかたが自分の立場の正当性を堅めたいなら、
これらの蓄積されている実証的な根拠を示したほうが、
「夫婦別姓は素晴らしい」のような感情論よりも、
はるかに説得力を持つことになります。

自分が夫婦別姓を選択することを他者に理解させたい、
あるいは選択的夫婦別姓の導入に対して、
社会から理解を得たいという場合も、
やはりすでに蓄積されている実証的な根拠にもとづく
明確な理由を示したほうが、説得力があります。

それゆえ「夫婦別姓は素晴らしい」なんて、
理屈のない感情論なんか振り回す必要もないし、
感情論を振り回すなんて役にたたないことを
する余裕もない、ということだと思います。


posted by たんぽぽ at 23:29| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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