2018年06月04日

攻撃的なのか攻撃的でないのか

6月1日エントリで、「riosis11」という
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)が、
「差別はあってもいいと思う」などという
すさまじいことを言ったことを、お話したのでした。

「差別はあっていい?それなら…」

「差別はあってもいいと思う」と言いながら、
「自分が差別されることはあってはならない」などと
言うなんて矛盾しているし、そんな自己中心的なことは
許さないよと、そのときわたしは言ったのでした。

 

さらにわたしは「たんぽぽが『許さない』なんて
断定的な言いかたをするのは珍しいよ、
よくよくのことだよ」とも言っておきました。



そうしたら「riosis11」は、たんぽぽが地を出した、
本性をあらわした、ここから鬼退治だと、
やけに意気込んだことを言ってきました。


それで、たんぽぽが「許さない」と言ったことを
「riosis11」は攻撃的と感じたようですねと、わたしは言いました。



すると今度は「riosis11」は、「たんぽぽのことを
攻撃的なんて感じていない。石ころには何も感じない」などと、
きゅうに豹変したことを言ってきました。


「ふだんおしとやかに見せているが地を出した」
「本性をあらわした」「ここから鬼退治」とまで
言ってのけているですから、わたしのことを攻撃的と
感じたとしか、言いようがないと思います。

「riosis11」はわたしに対して、これだけいろいろと
(わたしの様子を3通りに表現)感じておきながら、
「何も感じません」というのも、なにをかいわんやです。

さらに「riosis11」は「ここから鬼退治」なんて、
わたしを鬼扱いしたのに、きゅうに「石ころ」扱いです。
ごまかしかたが見え透きすぎているというものです。


かかる態度の矛盾を、わたしが指摘し続けたら、
なんと「riosis11」は、「たんぽぽにとって鬼退治で、
自分にとって石ころを戻す作業」などと言ってきました。
苦し紛れにこんなことを言い出したかと思います。


「鬼退治」と言ったのは「riosis11」です。
最初のツイートをいくら読み返しても
「riosis11にとって鬼退治」としか、解釈のしようがないです。

わたしは「鬼退治」とは思っていないです。
「riosis11」におかれましては、ご自分の認識を、
わたしの認識にすり替えないでいただきたいと思います。


わたしが「許さない」と言ったのを見て、
「riosis11」は「たんぽぽを悪者に仕立てて
叩きのめすチャンスだ」とでも思ったのでしょう。
それで「地を出した、本性をあらわした、鬼退治だ」と
意気込んだことを言ったのだろうと思います。

ところがそれによって、「riosis11はたんぽぽのことを
攻撃的と感じている」と思われたのでした。
そうしたら「riosis11」は、「たんぽぽごときを
そんな脅威と感じたなんて思われたくない」という
プライドがもたげてきたのでしょう。

それで「たんぽぽなんて取るに足りない存在だと
思っている」ということにしたくなって
「石ころを戻す作業」と、きゅうに矮小なことを言って
取り繕おうとしたのではないかと思います。

選択的夫婦別姓の推進派を「悪者にしたい」願望と
「たいしたやつではないと思いたい」という
プライドとのあいだで、「riosis11」は板挟みに
なったのだろうと、わたしは想像します。


「riosis11」が、自分の発言の矛盾のせいで、
かかるジレンマにおちいった様子は、
次のツイートがよく示していると思います。


ひとつのツイートの中に、たんぽぽのことを
「攻撃的と感じた」「攻撃的だなんて感じません」の
両方が同居
している(!)という、支離滅裂ぶりです。

あえてコメントはしないです。
「riosis11」のこのすさまじい支離滅裂ぶりは、
おそらくだれにも真似できないだろうと思います。
ある意味芸術的かもしれないです。



posted by たんぽぽ at 00:08| Comment(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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