実現させたいなら、推進派は自分がわかるように説明しろ」と
要求を続けるかたは、かなりすごいことを言っています。
「私は別に差別があってもいいと思います」、
「全ての差別は無くすべきとでも考えてますか?」ですよ。
それなら「riosis11」さん、
あなたを差別してもかまわないということですね。
差別を解消しようとするのは夫婦別姓賛成派でしょ。私は別に差別があってもいいと思いますよ。理解責任ってなんですか?ひょっとして何とかして私を非難したくて差別だと難癖付けてるのですか?
— riosis11 (@riosis11) 2018年5月14日
仰っている意味が良く分かりませんが、全ての差別は無くすべきとでも考えてますか?電車の大人子供運賃は年齢差別ですが解消してくれるのですか?
— riosis11 (@riosis11) 2018年5月14日
「差別はあっていいと思います」とか
「すべての差別をなくす必要があるか疑問」と言いながら、
自分が差別されたら「差別はあってはならない」とか、
「差別はなくさなければならない」と言い出したら
矛盾しているし、自己中心的もはなはだしいですからね。
自分が差別された場合であっても
「差別はあっていいと思います」とか、
「すべての差別をなくす必要があるか疑問」と、
同じように主張していただきたいと思います。
また「riosis11」さんにおかれましては、
「私は差別をなくす必要はなくあっていいと思っているから、
みんなは私を差別してくれてもかまわないよ」と、
日ごろから公言するのがよいだろうと思います。
でないと「riosis11」さんを差別してはならないと、
誤解するかたが出てくるからです。
ふつうのかたはあなたと違って、差別はなくさなくてはならないとか、
差別はあってはならないと、考えていると思うからです。
そうしたら「riosis11」は、
「たんぽぽは、自分を差別させようと扇動している、
助けてくれ」などと言ってきました。
なにを泣きごと(?)を言っているのかと思います。
私に対してみんなに「差別してやろうぜ!」と扇動しています助けてください。 https://t.co/79DKAxTAJN
— riosis11 (@riosis11) 2018年5月16日
「riosis11」は「差別はあってもいい」
「すべての差別をなくす必要があるのか疑問」と言っています。
それなのに自分が差別されそうだと思ったら、
助けてもらって差別をなくそうなんて、
前述の「矛盾」して「自己中心的」もはなはだしいことを、
まさしくしてくれたと思います。
ほかにも「riosis11」は、「差別はあってもいいと
言うだけなら、差別をする加害者にはならない」とか、
「差別の存在の肯定であって、差別行為の肯定ではない」とか、
まったく意味不明な「釈明」をしてきました。
え?中立派は差別解消のために行動しなくてはいけないんですか?どーゆーりくつ?差別を認知しただけで差別主義者か反差別主義者のどちらかになるの?中立は存在しない立場なの?差別があってもいいは差別行為の肯定じゃないんだよ?差別の存在を肯定してるんだよ?加害者になるわけないよ?大丈夫??
— riosis11 (@riosis11) 2018年5月16日
中立=差別解消のために行動する?意味不明ですよ?
— riosis11 (@riosis11) 2018年5月14日
差別をする加害者?差別があってもいいと言っただけなのにどうして差別をする加害者になるのですか?
それと君の立場はまだ示せないのですか?自分だけ立場を示せないなんて差別ですよね。君は差別主義者ですね。
差別は具体的な行動で現れることです。
(思っているだけで、どこにも表に現れないなら、
さすがに「差別している」と批判されることはないし、
差別していないのと同じように扱われるでしょう。)
よって「差別の存在の肯定」は「差別行為の肯定」と
いうことになると言わざるをえないです。
もうひとつは「自分は差別はあってもいい」と
思っているだけで、みずから直接手を下して
差別するのではないから問題ないと言いたいのでしょうか?
差別したのが他人だとしても、「riosis11」はそれを
黙認、追認、支持、肯定をするということですから、
やはり差別に加担したことになります。
またこの場合でも「自分を差別してくれても
かまわない」ことになることに、変わりはないです。
「差別の存在を肯定する」ということは、
自分が受ける差別であっても存在を肯定しないと、
矛盾しているし、自己中心的になるからです。
こんなふうにごちゃごちゃ言ってくるというのは、
ようするに「riosis11」も自分は差別されたくない、
ということなのだと思います。
自分が差別されることが嫌だと言うなら、
差別はどんなものでもあってはならないし、
すべての差別を疑問の余地なくなくさなければ
ならないと、考えるよりないでしょう。
「riosis11」が「差別はあってもいい」
「すべての差別をなくすことに疑問」と言ったとき、
差別されるのはあくまで他人であり、
自分だけはどんな状況でも差別されない「特権」があるという、
虫のよすぎることを考えているのかもしれないです。
そんな自己中心的で身勝手もはなはだしいことなど、
わたしは許さないよ。
https://t.co/WeKc23Br0V 「差別はあってもいい」と言いながら、自分が差別されることはあってはならないというのは、矛盾しているし自己中心的もはなはだしいです。そんな身勝手は、許されないよ pic.twitter.com/uHAQzC9v0q
— たんぽぽ (@pissenlit_10) 2018年5月16日