反対できないのか?というご意見があります。
それを言うなら反対派なんて、最初のころから、
デマと感情ばかりで反対していたと思います。
同姓も別姓も選べる「選択的」夫婦別姓の場合、男女間の結婚では現在あるほぼすべての不利益を解消できます。
— nana (@nana77rey1) 2018年4月9日
もはやデマや感情だけでしか反対できないのかもしれませんが。
「夫婦同姓は日本の伝統」「夫婦別姓だと離婚が増える」
「子どもがいじめられる」「国家破壊の陰謀」
「時期尚早」といった、反対派の定番の主張は、
最初のころからかなりのものが出そろっていました。
これらはどれも「デマ」と呼べる事実無根ばかりです。
「オレの目の黒いうちは、別姓など絶対に許さない」という、
反対派の感情むき出しぶりを象徴する発言もありますが、
これもいまから15年以上前のものです。
「反対派と議論すると...」
「自民党法務部会の実態」
最近の反対派の傾向を言えば「もはやデマと感情だけで
反対するのもむずかしくなってきた」かもしれないです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)はデマを流して
恥ずかしくないのか?というご意見もあります。
根拠なしの思い込み発信して恥ずかしくないのかしら…
— エリ (@Shanzoo7) 2018年4月8日
わたしの想像ですが、彼ら反対派はデマを流すこと自体は、
恥ずかしいとも悪いとも思っていないと思います。
おそらく彼らにとって「事実はなにか」よりも
「大勢が信じるか」が大事だと思われるからです。
自分に都合がよければ「デマ」を流してもかまわないくらいに、
彼ら反対派は考えているのではないかと思います。
「デマ」のほうが偏見や劣情を利用できるので、
自分たちの言説を信じる人を増やしやすく、
かえって都合がいいのではないかと思います。
このような反対派にとって都合が悪いのは、
自分の主張が反証され、デマだと証明されることだと思います。
こうなったときの反対派の「反省」のしかたは、
「今度は反証されないよう、うまくデマを拡散させる」
ではないかと、わたしは思います。
彼らは事実かどうかをさほど重視しないでしょうから、
「今後はデマを流さないようにする」という、
こうした場合の一般的な反省ではないと思われます。
それゆえ彼ら反対派は、デマを流したことを
何回指摘され反証され批判されても、
つぎの機会には性懲りもなく、べつのデマを広めようと
するのではないかと、わたしは想像します。