2018年04月20日

25年前から議論して時期尚早?

4月14日エントリでお話した、選択的夫婦別姓の議論は
一院制にしてからだなどと、わけのわからないことを
言っているかたは「選択的夫婦別姓の実現は
いまやることではない」とも言っています。
選択的夫婦別姓の反対派にありがちな「時期尚早」論です。


 


選択的夫婦別姓は、法制審議会の答申書が出た1996年以来、
すでに22年のあいだ、ほぼまったく放置されています。
女子差別撤廃委員会から、選択的夫婦別姓を早く実現しろ
という勧告を、日本はすでに4回も受けています。

「民法改正・国連の勧告の歴史」


国際社会を見ても、世界のほとんどの国で
夫婦別姓が選べる状況になっています。
欧米の民主主義国は前世紀のうちに終わったことです。
日本はこの動きからすっかり取り残されています。

「夫婦別姓・世界各国の状況は?」

夫婦の姓を巡る各国の状況

選択的夫婦別姓の実現は、とっくに「終わった課題」にして
いいはずのものであり、いまからはじめても、
すでにじゅうぶんすぎるほど遅すぎるくらいです。
「遅すぎる」と言われてからも、だいぶ時間が経過しています。

最初のツイートのかたは、こうした現状において
「今やるべき課題でしょうか?」なんてよく言えるものです。
「いまになっても、まだやっていない課題なのか?」です、


最初のツイートのかたに関してあきれるのは、
「25年前に福島瑞穂さんや上野千鶴子さんと
話したことがありますが」と言っていることです。
選択的夫婦別姓の議論は、25年前からあったことを
知っているということです。

それでなぜに「時期尚早」と思えるのかと思います。
四半世紀前から議論があって進捗がまったくないなら、
「まだ実現していない」「すでに遅すぎる」であるくらい、
わかりそうなものです。

25年前から議論されていることを
「時期尚早」と平気で言える人は、今後も半永久的に
「時期尚早」であり続けるだろうと思います。
自分が選択的夫婦別姓を受け入れられないのを、
「時期尚早」と表現しているだけだろうと思います。

このような人を説得するのは不可能でしょう。
人の意見を聞く耳を持つ柔軟な姿勢のかたに対して、
「選択的夫婦別姓の反対にはこんな人がいる」
ということを示したほうが得策です。


ツイートの最初で「夫婦別姓は必要だと思いますが」などと
エクスキューズしているのがしらじらしいです。
とても必要だと思っている人の意見に見えないです。

このかたは「好きになって結婚するのであれば
二人で決めれば良いことです」とも言っています。
これはまさに反対派(非共存派)がよく持ち出すことです。

「選択的夫婦別姓に反対している」と言うと
批判されて対処できなくなることが必至と思っての、
批判回避のための言いわけと想像します。
この程度で自分の立ち位置を詐称できるなんて、
思ってほしくないものです。


posted by たんぽぽ at 23:15| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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