ふたこと目には「日本の伝統」と言う人は、
「自分の意見」を「日本の伝統」と言い換えているだけ、
という指摘をしている記事を見てきました。
「田中優子の江戸から見ると 「伝統」という言い訳」
(はてなブックマーク)
この記事は、夫婦同姓は日本の伝統でないという事実を、
簡単につぎのように述べています。
もう一つ「伝統」を盾にしている事柄がある。
選択的夫婦別姓を妨げる動きだ。
日本人の夫婦が同姓になったのは1898(明治31)年。
それまでは夫婦別姓だったので、
この時も日本の伝統に合わない、と反対があった。
この記述に反駁しているブックマークがあります。
「それまでは夫婦別姓だった」のくだりに対して、
「夫婦別姓と断言する主張は乱暴すぎる」と異議を唱えています。
会員登録のお願い - 毎日新聞日本が江戸時代衆道(男色)に寛容だったのは事実だが氏・苗字は武士以外が名乗ることは禁じられていた。武士以外も氏・苗字はあったとされるが実態は完全にはわかっていない。夫婦別姓と断言する主張は乱暴すぎる。
2017/12/15 18:03
これまでに何度もお話していますが、
明治に入って政府が近代的な家族制度を整えたとき、
最初は結婚改姓という考えがなかったのでした。
政府見解も妻は生来の名字を名乗るとしていたので、
夫婦別姓が原則だったと言えます。
その後、不平等条約を撤廃するために、
欧米風の法整備を進める必要が出てきました。
家族制度に関しても、欧米諸国の家族法にならい、
妻が夫の名字に改姓して夫婦同姓とすることを、
1898年に民法で定めました。
明治に入って30年ほどは夫婦別姓が原則でした。
記事の1898年に夫婦同姓を民法で定めたことの記述や、
「それまでは夫婦別姓だった」という記述は間違いではないです。
「日本で夫婦同姓になった起源」
「儒教とは何か」を読んでたら初っぱなに夫婦同姓について書かれてて、日本では明治27年まで、内務省から「妻は元の姓を名乗るべし」とされてたのを知った。夫婦同姓が明治以降なのは知ってたけど、明治27年に至るまで、むしろ積極的に「妻は元の姓」とされてたのは知らんかった。
— mipoko (@mipoko611) 2018年1月27日
同姓を名乗れとされたのは明治31年(西暦1898年)。明治も随分進んでから。なんでかというと、不平等条約撤廃のために欧米列強風の法整備が急がれたかららしい。何のことはない、夫婦同姓は伝統でも何でもなく、むしろ儒教由来の同姓不婚の伝統を破って、欧米化するために作られた制度ということだ。
— mipoko (@mipoko611) 2018年1月27日
ブックマークのかたは「それまでは夫婦別姓」と
言えない理由として、江戸時代は結婚後の名字を
どうしていたかわからないと指摘しています。
記事を見ると「それまでは夫婦別姓だった」と述べているだけです。
「江戸時代から」とは言っていないです。
記事では同性愛に関する部分は、古来から江戸時代にかけて
容認されていたという言及がなされています。
そもそも記事のシリーズが「江戸から見ると」です。
それゆえ夫婦別姓に関する記述も、江戸時代からのことを
言っているのだろうとミスリードされても、
無理もないとは言えるでしょう。
これも何度かお話していることですが、
江戸時代までと明治以降とで名字の概念が異なっています。
「氏(うじ)」「姓(かばね)」「名字」は
江戸時代まではべつのもので区別され、役割も違っていました。
「夫婦別姓4部作」
「名字の歴史と夫婦別姓」
「日本の夫婦別姓問題の経緯」
明治に入って近代的な家族制度を法律で整えていく過程で
「氏(し)」「姓(せい)」「名字」「苗字」の
区別がなくなり、同じものを表わすようになります。
「姓」「名字」「苗字」の法律用語が「氏」というくらいです。
現代の意味での「夫婦同姓」とか「夫婦別姓」は、
基本的に明治以降の概念ということになります。
よって現代なされている夫婦同姓や夫婦別姓の議論も、
明治以後だけで考えることになり、名字の概念が異なる
江戸時代以前は問題にしないことになります。