無視するのがいいという主張を見てきました。
今回はその根拠について見ていくことにします。
1. 企業社会などの現実世界では、差別主義者がある程度以上の
意思決定の場に上がれていないと考えられる。
2. 差別主義者はいくら議論しても意見を変えることがない。
議論するとこちらが嫌な思いをする。
3. 政府や自治体のパブリックコメントに意見を送るなど
意思決定の場に働きかけたほうがいい
>1.について
企業などの組織や集団が差別問題や人権問題に対して
適切な理解を持ち、差別主義者を一定以上の
意思決定の役職には就かせないと決めているなら、
それを信用すればいいと思います。
彼ら差別主義者たちが、ネットに出て
組織のしがらみにとらわれず、自由に意見を
展開できるところへ来たら、状況は変わって来ます。
前のエントリでお話したように、批判されないことで
差別主義者たちは自信を持つようになります。
また彼らの差別的な言説が氾濫することになって、
適切なリテラシーを持つ情報にアクセスしにくくなります。
彼ら差別主義者に自信を持たせないよう、
また差別的言説が氾濫しないよう、対処が必要だと思います。
>2.について。
差別主義者に対して積極的に対処する人も、
彼ら差別主義者を説得可能だとは、だれも思っていないでしょう。
あえて差別主義者たちと議論するのは、
A. 議論を見ている第三者に適切な情報を示すこと。
B. 議論によって差別主義者がどんな人か、第三者にわかるようにすること
C. 適切なリテラシーを持つ情報を増やすことで、
歪んだ意見の割合を相対的に引き下げること、
D. 可能ならば差別主義者を批判することで、
差別主義者が自説を展開する自信を削ること
ということがあると思います。
D.以外は第三者を意識していることですし、
D.も差別主義者の説得を目的にしているのではないです。
「議論する=相手の説得が目的」と思われがちですが、
必ずしもそうではないということです。
差別主義者との議論によって嫌な思いをするかたは、
差別主義者を相手にしなければいいと思います。
だれもが差別主義者の対処をしなければならないと
決まっているということはないです。
精神力とディベート力に自信があるかたが、
差別主義者の相手をすればいいと思います。
心理的な問題を言えば、差別主義者の差別的言説に対して
言いたいことがありながら放置するとなると、
かえってストレスが溜まることもあると思います。
「もの言わざるは腹ふくるる」です。
だまっているほうが精神衛生上よくない場合もあるし、
そのときは積極的に対処するほうがいいでしょう。
>3.について。
人権問題に関わる人たちの多くは、
ネットで差別主義者の相手をしていても、
行政などの意思決定機関に意見を送ることもしています。
(選択的夫婦別姓問題に関わるかたはたいていそうです。)
ネットの差別主義者を相手にしていると、
行政の意思決定機関に意見を送るだけの時間と気力が
なくなると言いたいのかもしれないですが、
そんなことは決まっていないです。
行政の意思決定機関に意見を送った場合の影響と、
ネットの差別主義者を放置した場合の悪影響をかんがみて、
自分の持つリソースを配分すればいいだけです。
たいていのかたはそれくらいの配分はできていると思います。