2018年01月27日

我慢すればいいのはだれか?

「自分の思い通りにならない理不尽な法は多くあり、
誰もが我慢はしています」などと言う選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)がいます。

ようは選択的夫婦別姓が実現しなくても、
夫婦別姓を希望する人たちは我慢しろということのようです。


 
「あいつらがもう少し口を慎めば、社会はもう少し
よくなるだろう」という、権威主義者にありがちな発想です。

差別その他の不合理で、被害を受けたり理不尽な思いを
している人たちが、自分たちの置かれている
現状を訴えることで、その問題が可視化され、
社会は改善のために動くことになります。

被害を受けている人たちがだまったら、
その問題はだれにも気付かれず放置され続けます。
「口を慎む」ことによって、社会は差別その他の
抱えている問題が地下にもぐり温存され、
どんどん悪化することになります。


そんなことを言うならこの反対派にとって、
選択的夫婦別姓が実現するのは
「自分の思い通りにならない」ことでしょうから、
「我慢」してだまって見ていればいいと思います。
「我慢をするものだ」と言う人が我慢することです。

そうしたらこの反対派は、選択的夫婦別姓の実現によって
自分が我慢することはなにもない、などと言ってきました。
よくこんなことがしゃあしゃあと言えるものです。


「別姓急進派は、明らかに子供の利益について
軽視している」とか、「別の本当の動機から
利用しようとする者たちがいる」とか、
言い続けているのはなんなのかと思います。
そういうのをいっさい「我慢」しろということです。

選択的夫婦別姓の実現で我慢することが
本当にないのなら、なぜに選択的夫婦別姓の推進派に
ごちゃごちゃ難癖をつけ続けるのかと思います。
選択的夫婦別姓が実現したところで
なおさら問題ないということですから、
それこそだまって見ていればいいと思います。


この反対派は「楠木雲太郎」というハンドルです。
議論を始めて1時間ほどで、はやばやと
わたしをブロックしてくれました。
ブロックも「我慢」してほしかったです。





付記:

「理不尽な法は多くあり、誰もが我慢はしています」
という前提が、わたしにはそもそも疑問です。

法律が理不尽なら、そのもとで理不尽な思いを
している人たちがいるということです。
現状を改善するべくそうした人たちが
行動を起こしているだろうと思うからです。


posted by たんぽぽ at 22:56| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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