「国連特別報告者の意見は国連の意見に非ず」
国連特別報告者が無謬な存在ではないということが
示せれば、私の目的は達成しています。
(28. たまごどん 2017年08月05日 19:13)
私が言いたかったことは、国連特別報告者が
無謬な存在ではないということです。
(33. たまごどん 2017年09月01日 21:21)
「国連特別報告者には誤謬が多い」と思わせたいように見えます。
もちろん「無謬でない=誤謬が多い」ではないです。
なぜそう見えるかは、以下のエントリでお話しています。
「特別報告者についてのお尋ね」
たまごどんのエントリで例示されている
国連特別報告者は3人とも(たまごどんの基準で)
おかしな人となっています。
よって読んだかたは「なるほど国連特別報告者は
おかしな人が多いのだな」という印象を受けるでしょう。
特別報告者の中にもおかしな人は居るらしく、
最初のまとめサイトに挙げられた例だと、
「日本の女子学生13%が援助交際をしている」とした報告書は、
日本側から抗議されて撤回している。
たまごどんに馴染みのある特別報告者は、
フクイチ事故を受けての福島の健康調査が十分ではないと
主張したトンデモさんのアナンド・グローバー氏、
ありもしない慰安婦の強制連行を事実として
国際社会に報告したラディカ・クマラスワミ氏がいる。
グローバー氏は科学への無知であり、
放射脳が湧いている方の熱狂的な支持で終わったが、
クマラスワミ報告書は日本の国益を大きく損なわせた。
また本当にたまごどんのエントリの目的が
「国連特別報告者は無謬でない」を示すことだったとして、
ケナタッチ氏から日本政府宛に公開書簡が来た
というニュースの際にそれを言及することで、
どのような意味を持つことになるだろうかと思います。
ケナタッチ氏のやっていることや公開書簡の内容は
間違っているかもしれないよという印象を
読者に持たせることになるのではないかと思います。
たまごどんに次のことをお尋ねします。
————
3. たまごどんのエントリは「国連特別報告者は無謬でない」と
いうことを示すことが目的には見えないです。
「国連特別報告者は誤謬が多い」と思わせることが
目的のように見えますが、いかがお考えでしょうか?
4. たまごどんのエントリの目的が本当に
「国連特別報告者は無謬でない」と言いたいのだとして、
それをケナタッチ氏から日本政府宛に公開書簡が来たという
ニュースの際に言及するのはなぜでしょうか?
ケナタッチ氏のやっていることや
公開書簡の内容は間違っているかもしれないよと言いたい、
もしくは読者に思わせたい、と言うことでしょうか?
————
3.は以前からお尋ねしている2.と同じようなことだと言えますが。
「特別報告者についてのお尋ね(2)」