「ポルフィラス」の攻撃的ツイートを、
いまさらですが見てみることにします。
「ノーフレンド主義者」が擁護に馳せ参じることになった
きっかけのツイートでもあります。
「とある民進党支持者の相変わらずの攻撃的態度」
これを見ると「ポルフィラス」はあいかわらずだと
言わざるをえないです。
いやあ…、売り言葉に買い言葉なのか知らんが、これが共存出来る頭の中というのが、どっちもどっちという言葉しか思い付かない。 pic.twitter.com/U9nf1Jyhoa
— マツモト (@matsuwitter) 2016年8月8日
ハンドル、アイコン、ユーザIDにモザイクをかけるという
やさしい「配慮」をしていますが、
「ポルフィラス」であることはわかります。
「ポルフィラス」は上記ツイートを削除していて、
画像キャプチャを取り込んだツイートだけが残っています。
他人の悪口雑言を糾弾しつつ、自分もそれ以上の
悪口雑言を並べるというのは、すさまじく強烈です。
自分が悪口雑言を並べているのにそれを棚に上げて、
他人の悪口雑言を糾弾できる神経はいかんともしがたいです。
それに対する「ポルフィラス」の言いわけがあります。
@omega_motoaki ありがとうございます。この人はもうブロックしました。それにしても、これほどの嫌がらせを受けている我々に対し、ああいう無神経な偽善的説教をできるこの人物も、相当なもんですね。こういう人は、ナチスやKKKに怒りの批判をする人にも説教垂れそうですね(^^;
— ポルフィラス (@amavorto) 2016年8月12日
「これほどの嫌がらせを受けている我々」なんて、
なにを被害者づらしているのかと思います。
「ポルフィラス」こそむかしから政治的に意見が対立する人、
とくに自分が小沢一郎の支持者と思った人に対して
異様なまでに攻撃的になってきたのでした。
「民主党支持者の民主集中制」
「とある民主党支持者の常軌を逸した人格攻撃について」
「ポルフィラス」は、わたしに対しても「万死に値する」の
連呼を始め、ハンドルを変えろとねじ込んだり、
わたしに人格攻撃をしていました。
「ポルフィラス」こそ嫌がらせをさんざんしている
加害者であると言わざるをえないです。
「とある民進党支持者たちの言動記録」
「民主党支持者の人格攻撃」
「無神経な偽善的説教」をするのも、自分の異様なまでの
人格攻撃を棚に上げて、聖書や仏典を持ち出したり、
はては天使さまのアカウントを作って、罰が下るとか罪深いとか
攻撃する「ポルフィラス」のことだと思います。
「とある民進党支持者の聖書の使いかたについて」
「ポルフィラス」は自分のやっていることが
「怒りの批判」だとでも言いたいようですが、
どう見ても「悪口雑言」「誹謗中傷」「人格攻撃」であり、
相手の尊厳を傷つけるレベルです。
「ポルフィラス」は小沢一郎の支持者を
ナチスやキュー・クラックス・クランと同類と思っていて、
それでいくら攻撃しても構わないと思っているようです。
「ポルフィラス」はむかし「在特会相手でも命を軽んじる
言葉は慎みます」と言われたことがあったのでした。
これはどう思っているのかと思います。
「憎悪表現批判と人格攻撃」
@elkorevolo 「ヘイトスピーチを一貫して批判」って何かの呪文ですか? 「万死に値する」とは口語にすれば「死ね」と同義、在特会の「首吊れ毒飲め飛び降りろ」と何が違いますか。私は在特会相手でも命を軽んじる言葉は慎みます。 @pissenlit_10
— 破レ傘(横浜駅取材班) (@kenketsumiyagi) 2013年10月14日
小沢一郎の支持者は、どれだけ偏っていたり、
「とんでも」なことを言っていても、
差別やマイノリティの排斥を前提としている
危険思想の持ち主や結社のたぐいではないです。
よって小沢一郎の支持者たちにも、言論の自由や
思想の自由は認められるし、彼らの基本的人権や尊厳も、
守られなくてはならないものです。
「ポルフィラス」はふたつ目のツイートでは、
憶測で印象操作していますが、実際にそんな「趣味」が
あるというのなら、実例や根拠を挙げてほしいです。
@omega_motoaki なんというか、世の中には、変な偽善者もいるのだなぁとしみじみ思いました。ああいう人は、あのキチガイオザシンの信じられないようなすさまじい悪口雑言に対しては何一つ批判もせず、それに対するまっとうな批判に対しては横から急に口をはさむのが趣味なんでしょうね
— ポルフィラス (@amavorto) 2016年8月13日
「変な偽善者」は上述のように「ポルフィラス」のほうです。
そして「ポルフィラス」がやっていることは
「悪口雑言」であって「まっとうな批判」ではないです。
この件で「ポルフィラス」を批判した人たちは、
「まっとうな批判」ではなく「悪口雑言」に対して
口を挟んだということです。