籠池泰典氏の証人喚問が、3月23日にありました。
この証人喚問に対する反応で、追求側だけ党派性があらわになって
問題であるかのように、思っているかたがいらっしゃります。
要は党派性とそれが掲げてるすばらしきもの(人権とか)は別ってことなんだろうけど、そこまで好意的に現状を読んでくれる人間がどれだけいることか。 https://t.co/H2PncfbzOm
— salmo(ポリコレめんどくさい (@invasivespeacie) 2017年3月24日
なぜこのツイートのかたが、追求側の党派性だけ
問題にしていると考えられるかは、
かっこ書きで「人権とか」と書いていることがあります。
追求側は野党が中心なので、リベラルや左派が多いし、
人権を重視するのはリベラルや左派だからです。
ほかにもこのかたが、ほかのツイートで示している
森友事件に対する政権側寄り(反追求側)のスタンス、
そしてつねづね抱いているリベラルや左翼に対する
激しい憎悪が、それを示していると思います。
追求側にだけ党派性があるとか、追求側の党派性だけが問題と
考えているなら、それこそ偏っているというものです。
党派性は政権側にもあるし、むしろ政権側の党派性のほうが、
ずっと深刻ではないかと、わたしは思います。
それは国政調査という議会制民主主義の維持のためのシステムを
円滑に運営することに対する妨害になるからです。
菊池誠氏や田中秀臣氏による政権擁護はその一端でしょう。
「野党のせいで追及が長引く?」
「イメージ批判で民主主義の危機?」
最初のツイートがリンクしているツイートは、
追求側と政権側の両方において党派性があらわになったことを、
問題にしていると思います。
例の証人喚問がある種「リトマス試験紙」のように働いているのは確か。ただ、そこで顕わになったのは人権感覚だとか政治意識とかではなくて、単に党派性だと思うよ。
— みつどん (@MITUDON) 2017年3月24日
そして人は他人の色は分かっても自分の色は分からない。
なぜそう考えるかというと、森友学園に送られた
安倍昭恵付き官邸職員の回答ファックスが話題になったとき、
このかたは「口利きがあった証拠」「口利きがなかった証拠」の
ふたつに意見が分断したことを、問題にしていたからです。
追求側と政権側の両方で党派性があらわになったことを
問題だと言っているツイートを見て、
追求側の党派性だけ問題にするという最初のツイートは、
この点でも恣意的ということになるでしょう。
最初のツイートの人は、政権側(反追求側)ですが、
追求側の党派性だけ見えて、政権側の党派性が見えないなら、
まさしく「他人の色はわかっても自分の色はわからない」
という人たちのひとりだと思います。
最初のツイートの人は、党派性に絡め取られているのは、
自分もしかりということに、気がつくことはないのでしょう。
なぜなら「自分の色はわからない」からです。
籠池泰典氏の証人喚問が「リトマス紙」というのは、
ほかならぬ「salmo」自身にも当てはまるということです。
「目くそ鼻くそを笑う」になっていることに
気がつかないで、他人をこきおろしているところは、
さらに失笑を買うことだと思います。
付記:
「salmo」のことは、何度も取り上げていますが、
「保育園落ちた・日本死ね」の匿名ブログを、
「バリバリの左翼」などと評したあのかたです。
「とある生物学徒の反「保育園落ちた」について思ったこと」