2017年03月15日

白馬の王女は死神ですから

深淵な非もてのサイトをご覧になって、
ご自分でも意見を書いたかたもときどきいらっしゃります。
以下のエントリはそのひとつです。

「99年10月の風虎日記>★10月1日(金)」

ギャルゲー日記からたどってここ。あっ、白馬の王女様が待たれているよ!
「勇気という言葉の偽善」が特にいい。以下に引用する。

 
ここで注目したいのは、つぎのくだりです。
相手のことを考えていなくて、自分のことしか考えていないなら、
恋愛なんて土台無理だということです。
「自分のことしか考えない」というのは、
「非もて」の特徴であり、彼らがもてない大きな原因です。

でもさー、ストレス越えてまで恋愛する必要性って別にないんだよ。
むしろ「彼女がいないとみっともないから」「ただでしたいから」
「だれかにボクを認めて欲しいから」とかの理由で
彼女作成する方が失礼なんすよ。

深淵な非もてのサイトのかたにも、まさしく当てはまることです。
「オトナになっても子どものときと同じように
甘えさせてくれる異性が欲しい」と言って、
相手の女性に母親以上の役割を求めていて、
恋愛の名のもとに女性を搾取するタイプだからです。

「恋愛の名のもとの搾取」
「精神的に「お子さま」な非もて」

深淵な非もてのサイトのかたは、まさに「自分のことしか
考えていない」からもてない人の典型でしょう。
一般的な非もてよりも「自分のことしか考えていない」という
度合いが高いのではないかと、わたしは思います。


深淵な非もてのサイトのかたも、最初にリンクしたサイトは
ご覧になっています。そしてこんなことを書いています。

「「恋愛不要論」「対幻想論」の偽善」

一方で、そのような私の「必要条件論」とは対極にある意見として、
「恋愛不要論」とか「対幻想論」というのがある
(尤も、 上野千鶴子氏の「対幻想論」や小谷野敦氏の
「恋愛不要論」は厳密には ちょっと違うんだけど)。

みのうらさんの風虎日記上での この頁に対する意見*も、
それとほぼ同種の発想であろう。
簡単に言うと、 「世の中には恋愛の他にも趣味とか
娯楽とか楽しいことがいっぱいあるのだから、
別に恋愛なんかしなくたって人生は楽しめる」という論だ。

最初にリンクしたサイトのかたを見た非もて氏は、
「恋愛以外に楽しいことはあるから、恋愛する必要はない」
と言いたいのだと、考えたようです。
(この文章自体「「恋愛不要論」「対幻想論」の偽善」という節にある。)

最初にリンクしたサイトのかたは、続けて次のことを書いています。
非もて氏はこちらに注目したのでしょう。

たとえばギャルゲーとかエロゲーとか抱きまくらとかで
その辺の快感を発散できるのなら、そうして生きて行くのも正しいことだ。
マジで。だって多くの同人女子はそうしてるじゃん。
誰かに認められたい欲は同人誌で発散。
他人と緊密な関係を築きたいのも同人誌で発散。
性欲も同人誌で発散。ナニか間違ってますか?


最初にリンクしたサイトのかたは、「自分のことしか
考えられない人には、恋愛なんて無理だから、
さまざまは欲求は自分ひとりで解決したほうがいい」という含みで、
続きの文章を書いたのだろうと思います。

深淵な非もてのサイトのかたは、「自分のことしか
考えられない人には、恋愛なんて無理」と
言っていることは、理解できなかったようです。
いや理解したくなかったのかもしれないです。
非もて氏にとっていちばん向き合いたくないことだと思います。

理解されなかったのは、最初にリンクしたサイトのかたも、
「自分のことしか考えられない人には」うんぬんを
あまりはっきり主張していないこともあるとは思いますが。


posted by たんぽぽ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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