楽しいことはいくらでもある」と言われることがあります。
最近の恋愛離れの原因には、趣味の多様化もあるでしょうから、
これはひとつの事実だと思います。
メインブログでこれまでお話してきた、
深淵な非もてのサイトのかたに言わせると、
このような言説は飢えたアフリカ難民に対して
「食べること以外に楽しいことがある」と
言っているようなものだ、ということになるみたいです。
「「恋愛不要論」「対幻想論」の偽善」
「恋愛ってデザートみたい。なくても生きていけるけど、
ないとちょっと淋しい」 いやあ、大したもんです。
世界的に見ると、アフリカの難民のように、
飢餓に苦しんでいる人たちがいるかと 思えば、
日本人のように飽食が当然の人たちもいます。
もし道端にパンが落ちていた として、アフリカの難民の人たちは、
先を争って拾い食べるでしょうが、ごく普通の 日本人だったら、
無視したりゴミ箱に捨てることこそあれ、
まさか拾って食べること はないでしょう。
では、食料というものの持つ重要性に、アフリカの難民と日本人とで
根本的に違い があるかといえば、そんなことはないでしょう。
日本人だって、食料がなくては生き ていけません。
ただ、食料があふれているから、その重要性に気が付かなかったり、
殊更それを騒ぎ立てたりする必要を感じないだけなのではないでしょうか。
人間は従属栄養の生物ですから、食料がなければいずれ死にます。
恋愛はずっとしなくても死ぬことはないです。
食いぶちが手に入らないのと恋愛できないのとが、
なぜに同じように深刻なことになるのかと思います。
これに関してですが、深刻な非もてのサイトのかたは、
旧帝国学部の工学部の建築学科という、
あきらかにまわりは男ばかりで、恋愛にははなはだ不利な
環境に進学しているという問題(?)があります。
食いぶちと同程度かそれ以上に恋愛が必要だと
そこまで言うのなら、自分の将来や就職のことなんて
二の次、三の次にして、首都圏か近畿圏の
私立大学の文学部にでも入ればよかったのだと思います。
まわりに女の子が多い環境をあえて選ばないところに、
「食いぶちがなければ死ぬけれど、恋愛しなくても死なない」と、
自分でもわかっているのではないかと、わたしは思ったりします。
わたしに言わせれば、「衣食足りて恋愛を知る」です。
生活がある程度安定してはじめて、恋愛に関心を持つ
心理的な余裕が出るのだろうと思います。
その意味で「恋愛はデザート」というのは、
妥当なたとえかただと言えます。
「衣食足りて恋愛を知る」
生活に余裕がなければ、恋愛に関心を割いている
いとまはなくなってくるだろうと思います。
それよりも目先の生活を改善することが重要であり、
自分の持てるリソースもそこに使う必要があるからです。
近年はとくに若い世代で、恋愛や結婚に対する
経験や関心が急速に減っているという調査があります。
これは長年の雇用や収入の不安定続きで、
生活が安定しないので、恋愛に関心を持つ余裕が
なくなったこともあるのだろうと思います。
「結婚願望と交際経験の減少」
「結婚願望と交際経験の減少(2)」



深淵な非もてのサイトのかたは、前にも触れたように、
国立大学の教員で、生活は安定していると思われます。
そんな人にとって、雇用や収入が不安定で食いぶちに困る状況は、
おおよそ想像できないのかもしれないです。
付記:
アフリカの難民のお話をしたのは、友人のようです。
この友人氏も深淵な非もてのサイトのかたと同じような
恋愛観やジェンダー観の持ち主なのかと思います。