2017年02月05日

オルタナ右翼・感情的反発

メインブログの2月5日エントリで、アメリカ合衆国の
「オルタナ右翼」についての分析記事を見てきました。

「オルタナ右翼を考える」

事実関係の記述に終始する、かなり中立的な記事で、
「オルタナ右翼」を批判するというほどでもない、
冷静な分析をしていると思います。

このような記事に対しても、「オルタナ右翼」や
日本の「ネトウヨ」に該当、もしくは親和性があると
思われる人たちが、感情的な反発をしているコメントが、
ブックマークでちらほら見られます。

 
レッテル貼りとかバッシングとか偏見に過ぎないといった、
根拠のない決めつけをはじめ、見当違いの左翼・リベラル批判を
やりだしたり、はてはなんの関係もない荻上チキ氏の
個人的な事情を持ち出す人までいる始末です。

ひとつ考えられるのは、この記事がそれだけ
「オルタナ右翼」の本質を適切に分析していることを
示している、ということだと思います。
「痛いところを的確についた」ので、つかれた側はなにも言い返せず、
感情むき出しの反発しかできなかったということです。


もうひとつ、次の指摘を見てみたい思います。
「オルタナ右翼」や、日本の「ネトウヨ」は、
自分は他者を冷笑するだけの、観客席の「観客」という、
安全な立場でいられるつもりでいるということです。

オルタナ右翼を考える / 前嶋和弘×八田真行×町山智浩×荻上チキ | SYNODOS -シノドス-

こういうわりとニュートラルな分析に対しても「リベラルに攻撃された!」っていうコメントが寄ってくるのは面白い。本質的に「見られる側ではなく見る側でいたい」というのがありそう。立ち位置がメタなんだな。

2017/01/25 19:13


自分たちが「見られる側」、つまり研究や分析や評価の
対象になることが、とうてい受け入れられないのでしょう。
それで観客席から引きずり降ろされたから反発する、
ということだろうと思います。

「オルタナ右翼」の特徴である、自分はメタな位置にいる、
もしくはメタな位置にいられると思っている、
という特徴を、身をもって証明したと言えるでしょう。

ネットで観客気取りの人に手っ取り早く水をかけるのは、
直接その人に議論を仕掛けることだと思います。
いやおうなしに「観客席」から引きずり下ろして、
「プレイヤー」にすることです。
その意味でも、このシノドスの記事はよかったと言えるでしょう。




見当違いの左翼・リベラル攻撃に走る人がいるのは、
批判の矛先を転化して、自分たちへの批判をはぐらかそう
ということだとは思います。

そのほかにも「自分たちはリベラルから攻撃された」という
被害意識の現れもあるかもしれないです。
「オルタナ右翼」はリベラルに対して被害意識がある
ということも、示していることになりそうです。


彼らの中には「左翼やリベラルはなぜだめなのか、
もっと反省しなければならない」と説教を垂れる人も多いと思います。
そんな彼らは、自分たちに対するかかる分析記事に対して、
まったく受け入れられず、感情むき出しの反発しか
できない人たちが多いということになりそうです。

他人に反省しろと説教をするなら、まず自分が他者からの批判を
受け入れられるようにすることだと思います。
このシノドスの記事程度の指摘さえ聞く耳を持たないようでは、
それこそ説得力がないというものです。


posted by たんぽぽ at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/446695625

この記事へのトラックバック