2017年02月01日

「批判のしかた」に責任転嫁

「保育園落ちた」は「バリバリの左派」のかたが、
自分が「ポリコレ棒」をという表現を使うことや、
自分が「ポリコレ棒」という概念があると考えることを、
わたしのせいにしてきました。

このかたのすさんだ認識を、わたしが批判し続けたことに加えて、
わたしがこのかたを社会的強者と言ったことが、直接の原因です。
自分の認識が「わたしのせい」ということです。

 

「お前の言いかたが悪いから家事をする気がなくなった」と
妻に言う男性みたいなものだと思います。
とんだ責任転嫁だと思います。
それこそ社会的強者ならではの態度だと言えます。

脱原発派の「とんでも」な人が、
「自分たちが言動を変えないのは、にせ科学批判の人たちの
批判のしかたが悪いからだ」と言ったら、
このかたは「おおせの通り、にせ科学批判側の態度のが
悪いで改めます」と言って、納得するのかと思います。


「かえって反発するので、批判のしかたに配慮するべき」とか
「批判のしかたに配慮すれば、いずれ理解される」と
思っているかたは、結構いるのかもしれないです。

最初のツイートのかたのようなケースに関して言えば、
批判のしかたに配慮することによって、
理解が得られることはほとんどないと思います。

わたしやまわりのかたたちが「配慮」したら、
このかたが「ポリコレ棒と言わなくなる」とか、
「ポリコレ棒が存在するとは考えなくなる」とは、
わたしは思わないだろうと言うことです。


最初のツイートのかたが「ポリティカル・コレクトネス
(政治的妥当性)」に対して、強い不満を持っているのは、
ハンドルを見ただけでもあきらかです。


自分はポリティカル・コレクトネスに反している
という意識が、つねづねあるのだろうと思います。
それでいつでもだれかが、自分をポリティカル・コレクトネスに
照らし合わせて批判しかねないという
被害者意識でもあるのだろうと思います。

よってたまたまわたしのときにキレただけで、
わたしが関係なくても、べつのきっかけで
「ポリコレ棒ってありますねぇ!」と最初のツイートのかたが
言い出す可能性はあったということだと思います。


最初のツイートのかたのポリティカル・コレクトネスに
対する意識が、そもそもの原因ということです。
その意識が変わらないかぎり、だれがどう「配慮」しても、
理解することはないだろうし、「ポリコレ棒で殴られる」と
言い出す可能性はあるということだと思います。

あくまで最初のツイートのかたの問題であって、
わたしやほかの批判者の問題ではないです。
「批判のしかたが悪い」というのは、
自分の問題のていのよい責任転嫁だと思います。


posted by たんぽぽ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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