2017年01月21日

匿名記事を擁護する必要

1月19日エントリでお話した、「保育園落ちた」を書いたかたを
「バリバリの左翼」認定したかたは、
「日本死ね」を擁護するかたが多いことを
理不尽なことのように思っているようです。



 
なぜ必死に擁護する必要があるかと言えば、あなたを含めて
理不尽なバッシングをする人が、それだけ多いからです。
それとも「保育園落ちた日本死ね」を書いた人は、
黙って叩かれなくてはならないとお考えですか?

「平沢勝栄・匿名記事に論難」
「匿名記事・反発する人たち」
「子育て支援に対する本性?」
「つるの剛士・日本死ねに反発」
「日本死ね・俵万智に批判集中」
「日本死ね・ユーキャンに粘着」

上記ツイートのかたの認識では、イデオロギーが動機のようですが、
実際には自分の生活がかかっていることですからなおさらです。


まさか「日本死ね」はだれかを差別している
なんて考えているのではないでしょうね?
ツイートの後半を見ていると、そういう気もしてきます。

「日本死ね」の「日本」は、あえて対象はなにかと言えば、
日本の社会や、日本の政治・行政です。
具体的な個人や、特定のカテゴリに当てはまる人たちに
向けたものではないです。

日本社会や日本の政治・行政は、匿名記事を書いた本人や
賛同や共感をした人たちも含まれます。
その意味では自分自身に向いているとも言えます。

「<山尾志桜里議員インタビュー>「絶望の中から希望が生まれた」ー待機児童問題」

今回の非難の対象は、どこか特定の個人でも、
特定の政党でもなければ、政治家を非難するものでもなかった。
当初安倍総理を非難するものでもなかった。

誰を非難していいかわからない。自治体を非難すればいいのか。
市役所さんの職員さんを非難すればいいのか。保育園を非難すればいいのか。
県を非難すればいいのか。国を非難すればいいのか。
それとも競争に受かったお母さんたちに怒りをぶつければいいのか。
誰にぶつけていいのかわからない結果、
「日本死ね」っていう言葉になっているんですよね。
決して個人攻撃や、ぶつける対象を間違っているものでもない。


差別やヘイトスピーチは、社会的強者カテゴリに属する側から
社会的弱者カテゴリに属する側に向けられるものを指します。
社会的な力関係の差を利用するということです。

「日本死ね」は一個人から日本社会に向いていますから、
むしろ弱者から強者ないし体制に向けられたと言えます。
社会的な力関係を利用していることはまったくなく、
差別やヘイトスピーチでないことになります。

強者カテゴリから弱者カテゴリに向けられたものではないもの、
とくに弱者カテゴリから強者カテゴリに向けられた
攻撃的な表現を、差別とかヘイトスピーチと決めつけるのは、
差別やヘイト問題を理解していない人にありがちです。

そうした人は社会的強者カテゴリに属することが多く、
自分のカテゴリが差別主義者、加害者として批判されることに
つねづね不満に思い、どこかで自分を被害者にして
やり返したいという気持ちがあるので、
このような曲解をするものと思います。

posted by たんぽぽ at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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