2016年09月23日

非改姓結婚を理解しない人

「ヒラリー」が次のエントリのコメント欄で
選択的夫婦別姓を求める動機について、
まったく不可解なことを言っています。

「三代目金ちゃんのドーンといってみよう」
これによってフェミニストが別姓にこだわるのは、
英語表現の影響もあることが分かりました。

(4. ヒラリー 2016年09月11日 09:56)

なぜに英語のために非改姓結婚をするのかと思います。
このコメントには長ったらしい前後がありますが、
読んでもやはりぜんぜんわからないです。

 
なぜ結婚改姓したくないと考えるかは、自分の生活や尊厳のためです。
たとえばアイデンティティに支障をきたしたり、
職業上のキャリアに不利益があるからです。

「なぜ選択別姓(非改姓婚)が必要なのか?」

こんなことをていねいにお話しても、
「ヒラリー」にはもはや無意味であり、徒労するだけなのでしょう。
結婚しても苗字を変えたくないということは、
「ヒラリー」の理解を完全に超越しているのであり、
とうてい理解しえないことなのかもしれないです。


なぜ「ヒラリー」が選択的夫婦別姓について、
このような見当違いもはなはだしいことを考えるのか
(見当違いなことしか考えられないのか)、
ということを、少し考えておくことにします。

9月22日エントリでお話したように、
「ヒラリー」は人権問題というアプローチがまったく理解できず、
ナショナリズムでしかものごとを考えられないことはありそうです。

「フィリピンが好きなのはだれか」

それで「ヒラリー」は、自分の生活や尊厳のためという
動機にまったく思いを巡らせることができず、
英語表現がどうのと一種のナショナリズム問題としてしか
解釈できないということだろうと思います。


「ヒラリー」も中高年男性であり
(たぶんたまごどんより一回り歳上)、
結婚して専業主婦の妻がいないことを除けば、
社会的強者であり、既得権益者だと思います。
自分の生活や尊厳が損なわれる機会はほとんどないのでしょう。

それで人権問題を理解する機会も必要もないので、
人権問題というアプローチをまったく理解できないまま
こんにちまできたのではないかと思います。
「ヒラリー」にとっての人権問題は、
「よくわからない他人ごと」ということです。

人権を主張する他者がいると、自分の既得権に抵触するので、
「ヒラリー」にとっては人権問題なんて
はなはだうっとうしいことであり、
むしろ矮小や否認をしたいことではないかと思います。
こうした姿勢が、人権問題に対して
まともに向き合わない態度を強化するのだと思います。


ナショナリズムなんて(こんな言いかたをしてはなんだけど)、
食いぶちにもならず生活のたしにならないです。
こんなことに熱中していられるのは、
自分の生活が安定して、人権侵害にさらされる危険が少ない、
「お気楽な立場」ということだと思います。



付記:

選択的夫婦別姓を望んでいるのは、
フェミニストでないかたにたくさんいるのではないか、
フェミニストの中には、選択的夫婦別姓問題に
(というか結婚制度問題に)、醒めたかたもいるのではないか、
というべつの批判もありますが、ここでは置いておきます。


posted by たんぽぽ at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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