2016年09月11日

階級とジェンダーのすり替え

たまごどんのブログのコメント欄に居ついている
「ヒラリー」ですが、こちらのコメント欄で、
フィリピンについて熱弁をふるっています。

「竹島の不法占領国を選びなさい」

なにが言いたいのか、ぜんぜんわからないです。
「ヒラリー」のコメントが意味不明なのは、いまに始まったことではないですが。
私から述べさせて頂くと、
・フィリピンは女性専門職・管理職が多いという
大学教授の言及を引用してますが、フィリピンなど東南アジアは
華僑が圧倒的に強い、という男女以前の現実があります。

(1. ヒラリー 2016年06月22日 08:47)


もう少し先を見てみることにします。
続いている「ヒラリー」のコメントもやはり論旨不明瞭ですが、
並べるとなんとなくわかってくるかもしれないです。

フィリピンでは華僑が実権を握っているから、
女性の専門職や管理職が多いということですか?
繋がりがよく分からなかったのですが。

(2. たまごどん 2016年06月23日 00:17)
私は、たんぽぽさんのところで津田塾大創設者である
津田梅子の例をあげて、男女というよりその当時の華族や
それに近い家に生まれると教育でも経済でも有利になる。
貧しい生まれなら男であることを理由に恵まれたりしない、と書きました。

東南アジアは政界や富裕層に華僑が多くて、
フィリピンのアキノ前大統領やタイのインラック前首相も。

(3. ヒラリー 2016年06月23日 08:10)
まあ、必ず東南アジアは華僑が政界、経済界を
牛耳っているわけでなくともその比率が高いですね。

(4. ヒラリー 2016年06月23日 08:53)

「上流階級の女性は、下層階級の男性より、
経済的に裕福な生活をしているから、女性のほうが男性より
恵まれていることがあるので、ジェンダー差別ではない」と、
「ヒラリー」は言いたいもののようです。

そして「裕福層の華僑が社会の上層を占めるフィリピンで
実際にジェンダー格差が小さい」から自説は裏づけられていると
「ヒラリー」は考えているのでしょう。
女性管理職のお話なのに、唐突に華僑が出てきたのは、
このような思考回路によることになりそうです。


「階級・格差問題」の「ジェンダー問題」へのすり替えです。
「ヒラリー」の言っていることは、端的に言えば、
「お姫さまは貧しい庶民の息子より裕福な暮らしをしているから、
ジェンダー差別はない」みたいなものです。
これがばかげた主張であることは、言わずもがなでしょう。

低ヒエラルキーの男性より、高ヒエラルキーの女性のほうが
暮らしぶりがいいことを楯にとって、「女性差別はない」とか
「女性のほうが優遇されている」と言い出すのは、
とくに低ヒエラルキーに分類される男性の中にいるようです。


こういう男性は「女」というだけで、男である自分より
高ヒエラルキーであることが、許せないのかもしれないです。
「女はすべて男より低ヒエラルキーでなくてはならない」という、
よくよくのセクシストということになりそうです。


あたりまえのことですが、その社会にジェンダー差別が
あるかを調べるには、同じ階層コミュニティの中で、
男性と女性とでどのように扱いが違うかを見る必要があります。
上述のわたしの例でいけば、「お姫さまと王子さまを比べてどうか」、
「貧しい庶民の息子と娘を比べてどうか」です。

王子さまは国や領邦の継承者として相応の教育を受けますが、
お姫さまには継承権がないことも多かったです。
庶民でも家業の跡取りは通常息子であり、財産も息子が相続しました。
簡単な例ですが、王族、庶民のいずれのコミュニティも、
それぞれにジェンダー差別があったことは言うまでもないです。



付記:

たまごどんは「フィリピンはトップのヒエラルキーにおいては、
ジェンダー差別は少ない」ということだと、
「ヒラリー」のコメントを好意的に解釈しているようです。

要するに社会階級が存在していて、
そのヒエラルギーのトップから専門職や管理職が選ばれている。
そしてそのクラスでの女性差別は少ない(社会階級差別>男女差別)
という図式ですね。なかなか面白い視点です。

(5. たまごどん 2016年06月26日 08:59)


posted by たんぽぽ at 14:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(タイトル変更・補筆訂正しました。)
ヒラリー氏、趣旨がわからない文章がパワーアップしてる?
(適切な批判が無いと退化するものらしい)
ようですが、私はこのように理解しました。

”フィリピンでは女性が管理職・専門職に就いている例が多く、
男女の不均衡が解消されているように見えるが、実態は華僑
によるものである。”

に対する懐疑は、

①仮に、管理職や専門職を華僑の女性が多数いたとしても、
フィリピンの社会がそれを受け入れているなら、充分男女差別の
解消が進んだ社会と言える。
(≒異民族+女性であることが足かせとならない社会)

②仮に、華僑がフィリピン社会の上層を席巻しているからと言って、
その不均衡は身分差別であって、性差別とは言えない。

③そもそも華僑に男女差別思想が無いのか?

※ただし、華僑とは「海外に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族」なので、
①については”フィリピン人の”管理職・専門職に数えられない可能性がある。

②については、記事内でご紹介のTL

>自分と同スペックの女性がどんな生活してるか考えてみるといい

の指摘に尽きますね。
(市井の一市民である)自分と、貴顕の女性との比較ではなく、
同じく市井の同年配の女性との比較です。
ところがこういう時、女尊男卑だの、男性差別だのを主張する男性からは、
なぜかそういうリアルな女性は見えないらしく、上記のような比較を
語る例はほとんど無いように思います。
シブいオトナ()のミリョク()でモテモテ()らしい?あの饒舌なヒラリー氏
からも、聞いたことは無いですしねえ。
(もしやそれは、いわゆるたまごどん的「そうてい」だから…???)

…と、結論しようと思ったんですが、書いてるうちに気が付きました。
≪ああ、私たち、それ以外でも「そうてい」の女だったわ。≫

※なお、参考文献として。
フィリピンの女性進出を支えているのは、皮肉にも、未だ根底では
解消されていない格差社会によるもの。というレポート。
(レポート内には、”女性が女性を支えている”という言葉が見えるが、
一面の事実ではあるものの、根本にある何かを透明化していると思う。)
「名誉なランキングの背景にある格差」
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1201_suzuki.html

ps.昔、「とにかくたくさん書けば、おのずと文章は”整ってくる”のだ」。
と言った人がいて、私は常々この言葉を教訓にしているのですが、
ヒラリー氏を見ていると、それはただ文章を”書く”のではダメで、
自主的に適切な負荷(思考し、伝える)を掛けないと、
思惟的に整った文章にはならないのだ、と改めて思ったことでした。
※しかし、自分が思ったことを、思った通り、思ったまま書ける、
というのも一種の才能と言えるかも知れませんね。
(読み手の理解を度外視している問題が解決できれば、です。)
Posted by あやめ at 2016年09月12日 22:14
あやめさま、こちらにコメントありがとうございます。

>実態は華僑によるものである。”
>に対する懐疑は、

わたしも「華僑裕福層」説は、懐疑する余地があると思います。
いつか時間があったら調べてみたいと思います。

>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1201_suzuki.html

こちらはご紹介ありがとうございます。
フィリピンの男女平等は、上流階層がお手伝いさんを
雇っているので、女性に家事の負担がないからだ、
というのはよく言われるし、そうなのだろうと思います。

上流階層がお手伝いさんを雇って、女性に家事の負担がないのは、
ほかのアジアの国も同様なのですよね。
でもこれらの国では、ジェンダーギャップ指数は、あまり高くないです。
なのでフィリピンでジェンダーギャップ指数が高いのは、
フィリピン固有の事情もあるだろうと思っています。


>ヒラリー氏、趣旨がわからない文章がパワーアップしてる?

このフィリピンのコメントはとくに意味不明だと思います。

>ヒラリー氏を見ていると、それはただ文章を”書く”のではダメで、
>やっぱり自主的に適切な負荷を掛けないと、
>思惟的に整った文章にはならないのだ、と

論旨が不明瞭な文章を書き散らしてはばからない人は、
いったいなんなのかと思います。
読む他者が念頭になく、自分のことしか考えられないのか、
筋道立てて自分の考えを述べる、文章構成力がとぼしいのか、
作文技術については詳しくないので、わたしにはなんとも言えないですが。
Posted by たんぽぽ at 2016年09月13日 22:51
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