結果について話題にしてはいます。
この内容が現実をぜんぜん直視しないひどいものとなっています。
「東京都知事選 鳥越氏が大健闘 野党と市民の共闘発展」
(はてなブックマーク)
鳥越俊太郎さんは勝利できませんでしたが、大健闘されました。
ご支援いただいた都民のみなさん、市民と野党の共闘のために尽力された
すべての関係者のみなさんに心から敬意を表します。
どうひいき目に見ても、ぜんぜん大健闘ではないですよ。
メインブログの8月4日エントリで触れたように、惨敗もいいところです。
鳥越俊太郎は135万票で、小池百合子の半分にも満たないです。
野党共闘のなかった2011年の東国原英夫の169万票や、
2007年の浅野史郎の169万票よりも少ない得票数です。
どこからどう見ても敗北と言わざるをえないです。

これらは、今後の都政と国政の転換の方向を示すものであり、
たいへん大きな意義をもつものだと考えます。
「政治の転換」と言うのも、選挙のたびで「お約束」なのですよね。
「転換」するとしても、共産党がどう影響するのかとも思います。
野党共闘も鳥越俊太郎も「転換」には影響しないでしょう。
今回の選挙戦を通じて、首都東京で野党と市民の共闘が
発展したことは極めて重要な意義があります。
協力関係は、市町村段階まで多面的に発展しました。
また、国政政策だけでなく都政政策でも政党間の一致点を広げていることは、
今後の都民要求実現のたたかいにとっても大きな意味を持つものです。
自民分裂というめったにない好条件のもとで、
野党共闘が成果を出さなかったことで、見直しを迫られる可能性があります。
野党共闘に対する不満分子は声を上げるでしょう。
懐疑的な論調もいくらか高まったと思います。
共産党の選挙総括は、むかしからずっとこんな調子です。
あからさまに負けていても「負けた」とは絶対言わないです。
都合の悪い事実には言及せず、都合のいい事実だけ言及して
「健闘した」と覇気のいいことを言うのが相場です。
ふだんの共産党の選挙総括をご存知ないかたは、
次のコンテンツをご覧になるとよいでしょう。
2007年の参院選のときのもので、都合の悪い事実から眼をそむける
共産党の選挙総括の特徴がよく出ていると思います。
「安倍晋三も嗤うであろう共産党の参議院選総括--これでは 終わりが近い--」
なぜこんな開いた口がふさがらなくなる選挙総括を
共産党は長年続けていられるかですが、
民主集中制にもとづく異論封じや異論排除に原因があることを、
ここでは指摘しておきたいと思います。
こうした欺瞞的で堕落した指導部が民主集中制の民主主義性を強調しても
実態では絵に描いた餅であることは言うまでもない。
ここに検討したようなデタラメな選挙総括は、
民主主義が生きている組織なら党内から批判を浴びて当然なのだが、
しかし、これまで同様、党内で批判を浴びることはなく、
党内論争になることもないであろう。
そこにjcp組織の病理があるのであり、時代に対応できない主要な原因がある。
異論を半世紀にわたって排除してきたために、
誤りを是正する頭脳と力が党内に残っていないのである。
はてなブックマークを見ると、当然とは言えますが、
共産党の選挙総括をこぞって批判しています。
それでもこれらを見ていると、共産党の選挙総括をはじめて見たと
おぼしきかたが結構たくさんいるように思います。
上述の2007年の参院選でさえいまから9年前で、
そのときも「むかしからやっているいつものこと」でした。
そう考えると、いまごろになって問題視しているのかという感が、
わたしにはなきにしもあらずです。
はてなブックマークで選挙総括の記事を批判している中には
「リベラル・左派」のかたもいるだろうし、
その中には共産党を「正しいことしている」と、
みょうに信頼してきたかたも、少なくないだろうと思います。
そんな彼らは、これまでは共産党の批判を見ても、不快感をあらわすか、
ずっと無関心で無視していたのではないかと思います。
共産党のていたらくは、そうした黙認や追認、擁護に
支えられてきた一面もあると、わたしは思います。
関連エントリ:
「2016年・東京都知事選」