「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の
歌詞について記事になっています。
曲が出てから2か月近く経っていて、かなり遅れていますが、
それでも大手メディアで記事になったことは、よかったと思います。
「HKT48の新曲が物議 女の子「頭からっぽでいい」?」
(はてなブックマーク)
「♪女の子は頭からっぽでいい...んですか?」(1/2)(全文)
「♪女の子は頭からっぽでいい...んですか?」(2/2)(全文)
内容は秋元康氏のくだんの歌詞が女性差別的だということ、
ネットで批判の手が上がったこと、そしてドラマ『グリー』や
ダイアナ・アグロンのキャラクターと、秋元康氏の歌詞で
歌われている内容が、ぜんぜん違うという指摘があります。
HKT48と同世代の女子大生にインタビューしていますが、
「そんな女の子を求める層がいるのか」と衝撃を受けています。
「オッサン」でもこんなこと言わないのではないかと、
わたしでも思うような歌詞です。
現役世代の子ならなおさらということなのでしょう。
「可愛くて頭からっぽの女の子を求める層がいる、ということが衝撃でした。
見た目が気になるという気持ちは分かる。
でも『頭からっぽの美人』じゃ、どこにも就職できない」と苦笑いする。
「秋元氏にも取材を申し込んだが、回答はなかった」
というのには、わたしはしばし失笑しました。
「リテラ」には訴訟をほのめかして恫喝するくらいなのに、
大手メディアにはなにも言えないのかもしれないです。
「ある女子大では、学生たちが替え歌を考えたという」
というのは、こちらだろうと思います。
「女の子はアインシュタインなんか知らなくていい?」
「皆さんの反論はわかった。だったら残った時間で
替え歌でも作ってみて」と言ったところ、
わずか10分足らずで次々と面白い替え歌ができあがりました。
その中から一つ、紹介してみましょう。
難しいこと いっぱい学ぼう
自分の頭で考えよう
地に足つけて
まっすぐ前向いて歩こう
女の子は可愛くなれる
学生時代は勉強しよう今一番大事なことは そう
アインシュタインだ
瞳の大きさ以上にテストの点が気になる
どんなに勉強できるか それは自分次第
ペンをくるくる回して天才のように
ジョーシキわきまえて
メイク練習しつつ ニュースも見よう
みんなで助け合おう
女の子は恋も仕事もして
楽しく 自由に
アインシュタインにもなりたいし
ディアナ・アグロンにもなりたいし
もっともっと輝きたい
だってだって 可愛くなりたいもの
記事後半では、大衆文化に詳しい識者のコメントが出ています。
受け手もこの問題に敏感になっているところへ、
こんなことを書くとは信じがたいような内容の
歌詞が出てきたということでしょう。
今回はなぜ批判が広がったのか。舌津智之・立教大教授(日米大衆文化)は、
「秋山氏の影響力の大きさに加え、政治の場で女性活躍が
叫ばれる時代も関係しているのでは」とみる。
歌謡曲で歌われる女性像の変化にも触れていて、
次の指摘は、わたしはぜんぜん知らなかったです。
(芸能はまったく疎いもので。)
流行歌が時代の先を行っていたというわけで、
こうして見ると流行歌も見どころあると感心するところです。
流行歌に描かれる「か弱く、受け身な女」が変わり始めたのは70年代。
特に作詞家の阿久悠は、山本リンダ「狙いうち」で
漫画的な強い女性を描くなど、実験的に時代の先を行く
女性像を打ち出し、90年代には現実となった。
「女性の自立は難しい」というのが「不吉な現実味」と
言われると、そんな気もして嫌な気持ちになります。
「今回の歌は、理想をいっても女性の自立は難しいという
メッセージしか読み取れない」という。
「先行きが見えない時代に、生産的未来を考えるより
若い時だけ可愛くて楽しければいいという内容は、
不吉な現実味を感じさせてしまう。
「女性が輝く」などと言われてはいるものの、
現在の政権はしょせん家族やジェンダーに関して
因習・反動的であり、憲法改正でそれを目指してもいます。
今後の右傾化によっては、女性の権利を主張しにくい
時代が来る可能性も考えられるからです。
「生産的未来を考えるより若い時だけ可愛くて楽しければいい」
というのは、社会の閉塞からの現実逃避とも言えます。
排外主義や国粋主義に逃避するよりはましだと思いますが、
これも「不吉」な未来を暗示していると思います。
記事ではもうひとりの識者からコメントを取っているのですが、
こちらは擁護していてとても感心しない内容です。
さすがにHKT48のあの歌は正面から擁護できないらしく、
批判の矛先をそらそうとする感じもします。
「アイドルの歌くらい、自由でいいのでは」という意見に対しては、
メインブログでも取り上げた次の指摘を示すところです。
スルーしろとかネタにマジレスとか言ってきた挙げ句が21世紀になってもこんな曲垂れ流される事態を招いてると思う。子供が私と同じ年になった時にもこんな徒労感を味わわせたくないから、今怒る。 / “「女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>…” https://t.co/qEQOx0pCnH
— motnao (@motnao) 2016年4月15日
「AKBグループにはいろんな子がいて、いろんな世界観を歌っている。
その一つだけを取り上げて批判しなくても」とも言っています。
それはその一つが差別的だったから批判の対象になった、
そうでない歌は批判されない、ということだと思います。
(それとも多様性を楯にして擁護しようというのでしょうか?)
最後はこんなことも言っています。
『STAP細胞』を巡る騒動で見えるように、
理系女子が本来の業績より、可愛いという理由で脚光を浴びるのが現実。
問われるべきはそんな社会の方では。
HKT48の歌も「そんな社会」のうちだと思いますよ。
批判している人たちは「そんな社会」の反映として
問うているということでもあると思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/289832244/comment/tegi
濱野智史のコメントが酷い。"問われるべきはそんな社会の方では"って、
こういう歌も社会を構成する重要な要素じゃん…。
関連エントリ:
「秋元康の新曲の歌詞のメモ」
https://www.uta-net.com/movie/3061/
「あたまからっぽのほうが夢詰め込める」は、
騒がれはしなかったようですね。
それでも納得できない、というかたは、
それなりにいるみたいです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013912815
わたしもくだんの歌詞は納得できないです。
あたまが空っぽで夢を詰め込んだら、
妄想に入り浸ることになるのではないか、
という気がします。