不幸感が強いという、舞田敏彦氏の記事を見たのでした。
「未婚男性の「不幸」感が突出して高い日本社会」
(はてなブックマーク)
その記事にこんな指摘があります。
日本では、伝統的に「男性は結婚して家庭を持って一人前」という
風潮があるので、未婚の男性に対する風当たりが強いのかもしれない。
家事スキルのない独身男性は生活が荒むとか、
過重労働の疲れを癒してくれる「情緒安定」の場が得られないなど、
他にもいろいろな要因は考えられる。
家庭が「過重労働の疲れを癒してくれる「情緒安定」の場」で
わたしが連想したのは、「家庭のぬくもり」幻想です。
男性というのは「家に帰るとごはんを作って
待っていてくれる奥さん」に憧れるらしいというものです。
「家庭のぬくもり」
そこには「ごはんを作ってもらって楽」というだけでない
「特別の喜び」があって、それはいつ家に帰っても
自分を迎え入れてくれる「居場所」があることに
精神的安らぎを覚えるということです。
『男と女 変わる力学』(鹿嶋敬著、岩波新書)という本の
前書きに、男性はこのような「家庭のぬくもり」に弱い
ということが指摘されています。
男は「家庭のぬくもり」という言葉に弱い。
それが漂ってくる映画はなんだろうと考えた時、
まず思い浮かぶのは『男はつらいよ』シリーズだ。
葛飾柴又で寅さんの帰りを待つ妹のさくら、
だんご屋を営むおいちゃん、そしておばちゃん------。
彼らこそ、この映画が発散する「ぬくもり」の源泉であり、
寅さんはその愛の充電を定期的に受けられるからこそ、
渡り鳥のように全国各地にはばたくことができる。
つまり寅さん映画は、男は勝手気ままに羽を伸ばしても、
故郷(家)に帰れば家族が温かく迎えてくれるという構図から成り立っている。
なぜ男性が「家庭のぬくもり」に弱いかといえば、
「家族思想信仰」の影響だろうと、わたしは思います。
「家に帰るといつでも奥さんが待っている」というのは、
まさに「夫が外で働き、妻が専業主婦」という家庭を
前提とした上での幸せということです。
高度経済成長期の企業利益がなぜ「夫が外で働き、
妻が専業主婦で、子どもはふたりがいい」という
ライフスタイルを求めたかといえば、
男性従業員にとって家庭が安らぎの場となるためです。
従業員が家に帰ったらゆっくり休めるようでないと、
会社で働けなくなって生産性が悪くなると思ったからです。
となれば、家庭が「いつでも奥さんが待っている憩いの場」
であることに、男性が「特別な喜び」を感じるのは、
「家族思想信仰」の影響をそれだけ受けたから、
ということになるだろうと思います。
関連エントリ:
「日本の未婚男性の不幸感」
作られた家族観の産物だと思います。
そんな「ぬくもり」を感じないというのは、
前時代の因襲的家族観からは無縁でいる
ということだと思います。
こういうのを見ると、やはり若い世代のかたは
すばらしいと、わたしは思ったりします。
その場合、改姓した男の人さんの帰りが遅いと、
ちょっと残念がるかもしれないです。