2016年05月11日

男性差別論者の精神構造

なぜ「男性差別」と言い出す人が現れるのか、ということを
考察をしたエントリがあるのでご紹介したいと思います。
とてもよくまとまっていると思います。

「男性差別は何処?」

いわゆる「男性差別」には根拠のないものがほとんどです。
それでも「男性差別」を主張してやまない人は後を絶たないです。

彼らがなぜ「男性差別」があると感じるのか、
ツイッターでもわりとよく話題になると思いますが、
まとまった考察をすることは少ないと思います。



「男性差別」を主張する人の認識には、大きく3つの誤解があるとしています。
このうち3.がいちばん大事だとエントリでは書いているので、
(わたしもいちばん注目したい)これを見てみたいと思います。

「この日本社会が女尊男卑」だという主張の根底には、3つの誤解があります。
1つはフェミニズムの立場に関する誤解で、
2つ目は社会の現状把握における誤解、
3つ目は差別という現象に対する誤解です。


3.はさらに大きくふたつにわかれます。
そのひとつ目は、形式的には女性を優遇していますが、
その背景には女性差別があるというものです。
いわゆる「男性差別論者」は背景を無視して、
わかりやすい形式だけとらえて「男性差別だ」と主張するということです。

1つは差別の構造に関する誤解です。
これは具体的に言えば「制度上の差別と思想上の差別は
一致しないことがある」ということを知らないということです。
例えば大学受験で受験生を判定する際に、
女性に男性の1.5倍の得点をつけることにします。
これは女性を男性より優遇する、明確な男性差別です。

ですが、この制度の導入理由が「女性は男性に比べて
論理的ではないから」だったらどうでしょうか。
女性の認知機能に対する偏見からくる、明確な女性差別だといえます。
このように、制度上は男性差別的だが背景には女性差別がある
といった事例は、女尊男卑コピペでも触れていたように結構あります。

「男性差別論者」が「男性差別の例」として持ちだすものは、
かなりのものがここに当てはまります。
具体的には「レディースデー」「女性専用車両」
「男子のみの徴兵制」があると思います。


もうひとつは「男社会」が前提とする「男性の範囲」で、
いわゆる「男性らしい男性」だけを対象にするというものです。

もう1つの誤解は、男尊女卑が前提としている男性の範囲に関するものです。
男尊女卑と書くといかにも男性全てを優遇し、
女性全てを卑下するように感じますが、これは違います。
男尊女卑が優遇する男性には、条件があります。

それは「男らしい男性」です。
何が男らしさかは社会や時代によるでしょうが、性別で人を切り分け
価値判断する社会である以上、理想とされる男性像や女性像が存在し、
そこに適合しているかどうかが問われます。

こちらには、男性としての既得権を得られないことに
被害意識を感じる「弱者男性」が当てはまるでしょう。
「きもくて金のないおっさん」や「非もて」はその例だと思います。

「きもくて金のないおっさん」
「非もての精神・思考構造」


既得権を得られないいわゆる「弱者男性」は、
差別を内面化して「男性中心」の社会に適応している女性より
境遇が悪くなることはあるかもしれないです。
このようなとき「女のほうが優遇されている」と、
彼らは感じることがあるということかもしれないです。

男尊女卑社会においては、「男らしくない男」は
社会に適合していないとして、非難されます。
社会的な立場からすれば、男性よりは下にされているが、
社会に適合しているために重宝されているという
「女らしい女性」よりも下になるかもしれません。
そのような立場の男性から見れば、女性の方が上にいる
女尊男卑社会に見えるのも無理はないかもしれません。

このような「弱者男性」のやっかいなところは、
女性を「仮想加害者」に見立てて攻撃することです。
女性が権利を得たせいで、自分のような「弱者男性」が
冷遇されると信じているということです。

「非もてとフェミニズム」


「弱者男性」に対する本当の加害者は、
「男性らしさ」の規範によって彼らを締め出している「男社会」であり、
また「男社会」の恩恵を受けている「強者男性」です。
「男社会」が作るジェンダー規範がなくなることで、
「弱者男性」が救済されることになると言えるでしょう。

「弱者男性」が「男社会」や「強者男性」と立ち向かうなら、
フェミニズムと共闘する余地も出てくることになります。
そしてフェミニズムが男性にも恩恵を与えるとしたら、
こうしたところにあるのだと思います。

男尊女卑社会や「男らしさ女らしさ」の脱構築といったフェミニズム運動が、
男性も利するというのはまさにこういうところなんですがね。  

ところが「弱者男性」の矛先は、なぜか本来の加害者である
「男社会」や「強者男性」に向かうことは滅多にないです。
「弱者男性」は「強いもの」にものもうせないから
「弱そうな」女性にばかり噛み付くのかもしれないです。
本当に視野狭窄して現状が見えないのかもしれないです。

「女性を攻撃する弱者男性」
「ねちねちねちねち絡む人」

あるいは「弱者男性」の目的は、自分も既得権益層に入ることであり、
ジェンダー平等の実現ではないのかもしれないです。
それで自分の既得権を奪ったという「逆恨み」で、
フェミニズムを攻撃するのかもしれないです。



posted by たんぽぽ at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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