見出しにもあるように、なんと小学一年生がこぞって
結婚して名字が変わるのは嫌だと言ったというお話です。
「結婚したら名前が変わるなんてヤダー! ― 小1生の本音を最高裁はどう聞く」
このお話はなかなか示唆的だと思います。
子どもというのは無邪気ゆえに、おとなの社会通念に関係なく
正直になることもあるし、またおとなの社会通念を
無自覚に反映することもあるからです。
ある日、小学1年生の子どもたちと給食を一緒に食べていた時のこと、
一人の女の子から「恵先生は、どうして船田と畑と
二つのお名前があるの?」と質問されました。
「私は、以前していたお仕事の関係で、結婚する前の名前、"畑"で
おぼえてくれてる人が多いのよ。だから、二つの名前を使ってるの」と答えると、
「あー、知ってる。先生、昔、テレビ出てたんだよねぇ」などと
リアクションしてくれる子もいる反面、どうも皆いま一つ納得がいかない様子。
「でも、みんなのお母さんも結婚する前は違うお名前だったんだよ」と言うと、
子どもたちの大半はそのことは知っている様子で、
「ボクのお母さんは田中だった」、「アタシのお母さんは前田」などと、
大きな声で発表会が始まります。
「ねっ、そういう風に大人になって結婚すると、
みんなも名前が変わるんだよ」と、私が軽率な言葉を口にしたとたん、
クラス中から一斉に「ヤダー!」の大合唱が。
しかも、先に声を上げたのは、みんな男の子たちです。
(えっ、男の子は名前は変えなくて大丈夫なのに...)と
私が心の中で思っていると、ちょっとオシャマな女の子が、
「だから、アタシ、結婚なんてしないの」と、毅然と胸を張ります。
これを耳にした周りの子たちも、「じゃあ、ボクもしない」「私もしない」と、
この日の給食は結婚拒否発言の嵐で幕を閉じました。
「みんなも結婚したら名字が変わる」というお話をしたら、
なんと小学一年生たちは、口ぐちに「やだー」と抵抗を示したのですよ。
それくらい多くの子どもにとって「結婚改姓したくない」ということです。
これはわたしも意外でした。
最後は「だからわたしは結婚しないの」という、
おとな顔負け(?)の非婚宣言が出てきます。
これらの子どもたちは名字を変えてまで結婚したいとは思わない、
あるいは結婚よりも名字を変えないほうが大事ということです。
ひとりが言い出したので、「そうか、そうすればいいんだ」と
発想を与えることになって、つぎつぎに非婚宣言が出てきたわけです。
「結婚改姓したくないから結婚しない」と言う人は、
おとなでもときどきいますが、たくさんの子どもたちが
口ぐちにそれを言うのは、なかなか圧巻だと思います。
先に声をあげたのが男の子というのはちょっと意外でした。
結婚改姓することになるのはほとんど女性ということは、
あまりわかっていないのかもしれないです。
自分の母親が結婚改正したことはみんな知っているみたいです。
通称使用でふたつの名前を使うことがあることは、
よくわからないというか、納得しにくいみたいです。
このあたりに名字や結婚改姓に関する、
社会通念や世間の意識が垣間見られるようです。
子ども対象に結婚改姓についての調査をするのも一案だと思います。
案外多くの子どもが「改姓したくない」と答えることも考えられます。
夫婦同姓を国民全員に強制する現在の民法規定が、正しいか正しくないか。
正直よくわからないという人は、どうか子どもたちに聞いてみてください。
「君たちは大きくなったら、結婚して自分の名前を変えたいか」と。
子ども対象の選択的夫婦別姓の調査は「自分の親が夫婦別姓だと
どう思うか」という趣旨のものがほとんどです。
子どもを将来の結婚当事者と考えて質問する
調査やアンケートはいままでなされたことはないと思います。
さまざまな不便や困難があるからそれを解消したい、という訴えで、
現状を何一つ変える必要は無く、ただ『別姓』という選択肢をプラスするだけ。
今の社会システムへの適合の為に必要だという主張ですよね?
他の法整備はほとんど必要としないし、すごく簡単なことだと思うのに、
一方で、『性風俗業の国営化』なんていう、基本的人権への保証と、システムとの両立や、
それに伴う周辺事象に関する法整備、運営方法、管理省庁、直接の指導部署、福利厚生、
さらには、何歳から合法とするのか、募集の方法は、…etc.
ちょっと考えただけでも問題が山積される、現状の社会システムを根底から
覆すような大改革が必要不可欠なものは、なぜか(なぜ?!)、すごーく簡単に、
明日にも実現可能そうにウキウキ語るんですよね。
一方の『選択的別姓』は、困難中の大困難。
導入の検討は国難くらいのスケールの大きさで語るのに。
彼らの難易度のハードルは、
「女に自由を与えること」≪「女の尊厳を損害すること」
なんですかね??(そーなんだろうな…)
>彼らの難易度のハードルは、
>「女に自由を与えること」≪「女の尊厳を損害すること」
「男の欲望をどれだけ満たすか」が、彼らの基準だと思います。
選択的夫婦別姓は「妻を改姓させて自分の名字を
名乗らせたい」という男の欲望に反するからでしょう。
「国難くらいのスケール」になるのは、かかる「男の欲望」が
それだけ強いからだとも言えると思います。
『性風俗業の国営化』は「女を堂々と買いたい」という
男の欲望に沿っているので、導入に積極的になるのでしょう。
実現しないのは、「男の欲望」だけでは「現実の壁」は
超えられないということだと思います。
「男の欲望」に沿ったものほど議論が進むというのは、
現状が「男社会」であり、意思決定の場は男性が
多く占めているということだと思います。