2016年02月01日

孤立する批判者はみじめ?(2)

1月27日エントリの続き。
嘘をついてだれかを傷つけると、良心が痛むとかあとまで引きずる、
というお話です。

「嘘をつくと良心が痛む?」
「人を騙してだれかを傷つけると良心が痛んであとまで引きずる?」

「頓服パラ子」は最後のほうできゅうに話題を変えて、
わたしがみじめかどうかを少しですが取りざたします。





「自分でタイトルにみじめらしいと書いている」というのですが、
1月23日エントリで触れた「孤立する批判者はみじめ」のことです。

「孤立する批判者はみじめ?」
「わたしは世間から忘れられてみじめらしい」

心配するならわたしではなく、孤立する批判者をみじめとさけずむ
「黒猫亭」のほうがいいと思いますよ。
集団主義的で同調圧力的で異分子排除を当然としていて、
「ファシズム」と言われているからです。



「頓服パラ子」と「黒猫亭」は仲がいいみたいなので、
おたがい「身内」ということなのだと思います。
彼らは「身内」の「批判」はできないらしいですが、
「心配」はできるだろうと思います。

「自分のことを棚に上げて…」



posted by たんぽぽ at 22:31| Comment(2) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仲間内しか通用しないネタをオープンに発信して、”さらしあげ~♪”なんてやってて、私からしたらバカじゃないの?って感じですけどね。
あなた方もさらされてるんですよ、と。

ところがネットの広い世界にはそう思わない人もいるようで、案外、”常識”ほど多様性があるものは無いのだと思うようになりました。
仮想世界もいつもの仲間と一緒、リアルの人間関係がそのまま反映されてるから、まずいことがあっても批判できないとか、そんな関係ならむしろSNS邪魔なんじゃない?と他人事ながら心配になります。
リアルの人間関係とSNSのをリンクさせようなんて、私は全く思わないんですけど(むしろできるだけ離しておきたい)、意外に少数派なのかも知れないですね…

自己表現は孤独にならざるを得ないものなのに、何かを代表して言いたがる人とか、正義に寄り掛かりたがる人とか(しかもほとんど無自覚に!)、”水伝騒動”でのコメント欄は大変興味深いものです。

仲間内で喜々としている人は、少なくとも孤独感を自覚することはないでしょう。
端から見れは、和を乱さないことを第一に、自己批判せず、スケープゴートをせっせと攻撃して結束()を高め、仲間の喜心を買うために汲々としている姿は、滑稽であり、いっそう寂しいものに見えますよ。
Posted by あやめ at 2016年02月08日 01:02
あやめさま、
こちらにコメントまことにありがとうございます。

>”さらしあげ~♪”なんてやってて、私からしたらバカじゃないの?って

「裸の王様」と言われることがあるけれど、
「王様は裸だ」とはっきり言う人がいなければ、
どうということはないとも言えるのですよね。

実際はっきり言う人はいないことが多いですし、
いたところで本人もその周辺の人たちも、
簡単に無視黙殺できることが多かったりします。


>案外、”常識”ほど多様性があるものは無いのだと

そのようですね。
「Common sense is not so common(常識はそれほど共通でない)」
なんて言うことばもありますが。

ネットの人間関係に関して言えば、「仲間内」で慣れ合うほうがいいとか、
「身内」の保身に協力したほうがいい、という人のほうが多いと思います。
bit.ly/1iMhM7B

そういう人たちにとって、大勢の「お仲間」と群れていられることが、
ステータスになっているのかもしれないです。
そういう精神構造だから、孤立する批判者はみじめと言って、
自分の「優位性」を確認するのかもしれないです。


>自己表現は孤独にならざるを得ないものなのに、
>何かを代表して言いたがる人とか、正義に寄り掛かりたがる人とか

「水伝騒動」は「お仲間」の保身のために、
労力を使うことを惜しまない人たちが、
あんなにも多いのかということを示したと思います。
(「水伝騒動」関係のエントリをご覧くださりありがとうございます。)

>仲間内で喜々としている人は、少なくとも孤独感を自覚することはないでしょう。
>端から見れは、和を乱さないことを第一に、自己批判せず、
>スケープゴートをせっせと攻撃して結束()を高め、
>仲間の喜心を買うために汲々としている姿

ガチで「因習的な日本人」なのですよね。
Posted by たんぽぽ at 2016年02月08日 20:43
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