2016年01月02日

子どもの貧困基金・寄付低調

1月1日エントリの続き。

「貧困対策で政府が寄付募集」

安倍政権が鳴り物入りで始めた「子どもの貧困基金」に、
寄付がほとんど集まらないという、お粗末な事態になっているのですよ。

「子どもの貧困基金、寄付低調 首相呼び掛けも大口ゼロ」
(はてなブックマーク)
「「子どもの貧困基金に企業寄付ゼロ」という冷淡。
これで「貧困の世代間連鎖」を断ち切れるか」

(はてなブックマーク)
「安倍首相の肝いり“子供の貧困対策” 寄付わずか300万円」
(はてなブックマーク)

集まった金額は11月末時点で約300万円にすぎす、
経済界からの大口寄付はひとつもないという状況です。
億単位のお金がいるのなら、ぜんぜん足りないという惨状です。


安倍晋三首相らが発起人となり、子どもの貧困対策として
十月に立ち上げた民間基金で、政府が期待する経済界からの大口寄付が一件もなく、
寄付総額は十一月末時点で計約三百万円にとどまっていることが分かった。
二〇一六年度に始めるNPO法人などへの助成事業には
億単位の基金が必要とされるが、官民挙げて取り組むとした
「国民運動」の看板事業の実施が危ぶまれている。

「子供の未来応援基金」は、子どもの六人に一人が
貧困状態にあるとされる中、ことし四月に提起された
「子供の未来応援国民運動」の一環で、個人や団体の寄付で基金をつくり、
貧困対策に携わるNPOなどへの助成を主な事業としている。

食事の提供や、児童養護施設を退所した若者の就学援助といった
公的支援が届きにくい「草の根」活動の支援強化などを想定している。
寄付が伸び悩む理由に、政府自体の予算措置を含めた貧困対策が
具体化していないことや基金の周知不足があるとみられる。

やはり子どもの貧困対策の財源を寄付でまかなうのは、
無理があったということになるでしょう。
「個人の善意」に頼るのではなく、税金を投入して政策として行わないと、
財源の確保はじゅうぶんにはいかないということです。


ハフィントンポスト日刊ゲンダイの記事は、
寄付を払わない企業の冷淡さを批判しています。
わたしに言わせれば、これはこれで無理もないことだと思います。
子どもの貧困基金に寄付したところで、
それに見合うだけの投資効果がぜんぜん期待できないからです。

企業からの大口寄付を集めるなら、ここに寄付した企業に対して、
政府が政策面で優遇することだと思います。
直接の政治献金よりも優遇措置を得やすいと思ったら、
投資効果があると見て寄付する企業も出てくる可能性があるでしょう。

東京新聞の記事には「政府が期待する経済界からの大口寄付」
なんて書いてあるのですよね。
こうした基金に寄付を払う企業がそれなりにあると、
政府関係者や発起人は本気で思っていたのかと、わたしは思いますよ。
大企業がこうしたものにお金を出したがるかなんて、
わたしよりずっと知っていそうに思うのですが。


「子どもの貧困基金」に寄付が集まらないことに、
子どもの貧困に対する社会の冷淡さは
まったく無関係ということではないでしょうし、
そうした社会の冷淡さにぜんぜん問題ないこともないと思います。

世田谷区が5年前に行った東日本大震災の復興基金では、
1.2億円以上の寄付集まっています。
東京都の尖閣諸島購入に対する寄付金にいたっては、
9か月で14億円ほど集まっています。

これらと比べると、2-3けた少ない額しか集まらない
子どもの貧困基金は、政府主体であることも考えれば、
問題なく集金力がないと言わざるをえないです。

http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/child-poverty_b_8747684.html
世田谷区長として、2011年の東日本大震災をうけて
緊急の義援金を被災自治体に寄付した後で、
復旧・復興が長期にわたることを予想して、
2011年6月に「世田谷区東日本大震災復興支援金」をつくり募金を始めました。
4年半で、世田谷区内の区民や各団体からの寄付は1億2千万円を超えました。
年に何度か、市町村単位で寄付金を渡して報告を受けています。
500円、千円単位から、高額の寄付まで幅広く頂いています。


東日本大震災のような自然災害は被害がわかりやすいし、
お金が入用なのも一時的であることに加えて、
自己責任でないことがあきらかで、自分もいつか被災者に
なるかもしれないという意識があるのでしょう。

領土問題にいたっては、生活とぜんぜん関係ないことです。
それこそ見返りなんてないし「道楽」レベルのことと言えます。
そうした領土問題には惜しげもなくお金を出せるが、
子どもの貧困にはお金を出せないということには、
社会全般の意識の差が現れているということなのでしょう。

(尖閣諸島問題を重視する人たちと、子どもの貧困を
問題視する人たちとのあいだの経済力の差もあるかもしれないです。
生活感のない「道楽」レベルのことを重視できるのは、
それだけ生活に余裕があって苦労がないということです。)


東京新聞の記事は、最後に
寄付が伸び悩む理由に、政府自体の予算措置を含めた貧困対策が
具体化していないことや基金の周知不足があるとみられる。
と書いていますが、それ以前に、子どもの貧困に対する
社会全体の無関心や冷淡さがあるのだろうと、わたしは思います。

福祉否定の自己責任論がまかりとおることに加えて、
子ども手当てバッシングやら、マタニティマークバッシングやら、
子どもの福祉に否定的な言動は、日本では枚挙にいとまがないです。


posted by たんぽぽ at 23:19| Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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